奈良市内(東大寺~春日大社)探訪(07.04.30)⑨率川(いさがわ)神社・・・終

■率川神社(率川坐大神御子神社) 式内社 奈良市本子守町
  (いさがわにいますおおみわのみこじんじゃ)        
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祭神
媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと) 【中殿】※
玉櫛姫命      (たまぐしひめのみこと) 【向かって左殿】
狭井大神      (さいのおおかみ)     【向かって右殿】
例祭日6月17日
●境内全景         ●拝殿(奥本殿)       ●境内2社・摂社
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率川神社は、推古天皇元年(593)大三輪君白堤(しらつつみ)が、勅命によってお祀りしたとされる古社で、延喜式神名帳に率川坐大神御子神社(三座)と記されています。
中殿の姫神をはさんで、左右の御殿には御父神と御母神が、まるで姫神を擁護するように鎮座するので子守明神(こもりみょうじん)と呼ばれ、地名の本子守町(ほんこもりちょう)もこのことより起こっています。安産・育児・息災延命の神として、広く信仰されています
●率川神社本殿(改装中につき足場が・・、でも朱色が映えていました)
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※五十鈴姫は、他6人の媛女と大和三輪山の麓の狭井川のほとりで山百合の花を摘んでいる時、初代の神武天皇に見初められましたが、神武天皇には東征の際に日向に置いてきた本妻さんが有りました。けど、姫は神武天皇皇后になり、一夜御寝(ひとよみね)で 第2代綏靖(すいぜい)天皇ら3子をもうけました。
境内万葉歌碑
詠み人知らず
万葉集巻7―1112
はね蘰(かずら)今する妹をうら若みいざ率川の音の清けさ

●末社住吉社     ●摂社率川阿波神社(式内社)●末社春日社
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上筒之男命          御祭神事代主神      武甕槌命
中筒之男命                           斎主命
底筒之男命                           天児屋根命
氣長帯比売命                         比売神
(神功皇后)
# by barakan1 | 2007-05-12 22:01 | 旅日記

奈良市内(東大寺~春日大社)探訪(07.04.30)⑧興福寺・・・

■興福寺
●東金堂、五重塔
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710年、平城遷都の際に、藤原不比等(ふひと)が飛鳥にあった厩坂寺(うまやさかでら)を移築し、興福寺に改名。法相宗の大本山。藤原鎌足の病気平癒のため、夫人の鏡大王が京都山科の私邸に建立した山階寺が厩坂寺(うまやさかでら)の前身となるため、興福寺は山階寺→厩坂寺(うまやさかでら)→興福寺と2度名前を変えている。藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大し、奈良時代には南都4大寺、平安時代には南都7大寺の1つとして栄え、以後鎌倉時代には大和守護職を勤めるまでになる。しかし、戦国時代に入ってから徐々にその勢いは衰え、1717年には北円堂、東金堂、食堂(じきどう)以外の伽藍を消失。それ以後、徐々に現在の伽藍に復興される。
●飛火野の藤                ●南円堂の藤
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詠み人知らず
巻10-1974
春日野の藤は散りにて何をかもみ狩の人の折りかざさむ
詠み人知らず
巻10- 1991
霍公鳥(ほととぎす)来鳴き響(とよ)もす岡辺なる藤波見には君は来じとや
田辺福麻呂(たなべのさきまろ)
巻18-4042
藤波の咲き行く見れば霍公鳥(ほととぎす)鳴くべき時に近づきにけり
●猿沢池より五重塔をみる。
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# by barakan1 | 2007-05-10 14:26 | 旅日記

奈良市内(東大寺~春日大社)探訪(07.04.30)⑦春日大社・・・

■春日大社
●南門
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平城京の守護の為に創建された御社で、祭神は本殿向って右(東)から、
第一殿 武甕槌命(タケミカヅチのミコト)茨城県の鹿島神宮
第二殿 経津主命(フツヌシのミコト)  千葉県の香取神宮
第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)大阪府枚岡(ひらおか)神社
第四殿 比売神(ヒメガミ)       大阪府枚岡(ひらおか)神社
それぞれの神社から春日の地に迎えて祀られている。
奈良時代の神護景雲二年(768)、現在地に四所の神殿が創設されたのが始り。藤原氏の氏神として有名。
●南門                   ●神拝所」
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「南門」をくぐると正面に「神拝所」がある。「神拝所」は「幣殿」と「舞殿」が一棟になった建物である。
●出現石
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南門の前に「神石」と呼ばれ、柵で囲われている石がある。
この石は太古の昔、神様が降臨する憑代(よりしろ)として祀られた磐座、又は、春日若宮の祭神がここから現れたとされる出現石、或いは、宝亀3年(772年)の落雷により落下した社額を埋めた額塚など、諸々の伝説があるが、神がかりの石として触れることができないように囲われている。
●春日大社「砂ずりの藤」
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★★万葉集
大伴四綱(おほとものよつな)
巻3-0330 
藤波の花は盛りに成りにけり平城(なら)の都を思ほすや君
太宰府で、大伴旅人(おおとものたびと)に贈った歌
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山部赤人(やまべのあかひと)
巻8-1471
恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり
# by barakan1 | 2007-05-09 11:49 | 旅日記

奈良市内(東大寺~春日大社)探訪(07.04.30)⑥水谷(みずや)神社・・・

■春日大社の摂社「水谷(みずや)神社」と子授石
若草山を左に見て、南に真っ直ぐ行くと、春日大社境内の北端で、水谷川(下流が、吉城川)を背にして三間社流造りの「水谷神社」が南向きに鎮座しています。
●八幡宮境内 ●若草山           ●子授石    ●水谷神社
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ご祭神
素盞鳴命
大巳貴命(おおなむちノみこと)
奇稲田姫命
古くは牛頭(ごづ)天王と云われ、悪疫鎮圧の医薬の神です。例祭は毎年4月5日の「鎮花祭(はなしづめさい)」で、1288年(正応元年)の創始と伝えられ、悪疫を払う祭りです。また、「水谷神社」の真ん前に女性のホトによく似た「子授石」も在って、霊験あらたかです。
●一言神社                ●総宮神社      ●桂昌院の藤
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# by barakan1 | 2007-05-08 13:02 | 旅日記

奈良市内(東大寺~春日大社)探訪(07.04.30)⑤-2手向山八幡宮・若宮・・・ 

●楼門横・神楽所
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奈良市内(東大寺~春日大社)探訪(07.04.30)⑤-2手向山八幡宮・若宮・・・  _a0016431_17203268.jpgかなり歴史を感じる建物で、内側に絵が描かれています、またその隣(右側)には境内社?があります。






●手向山・若宮本殿
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手向山八幡宮本殿は入母屋造。三間社が三つ接続して、合いの間を設けた形になっている。その中殿に品陀別命、右殿に足仲彦命と息長帯姫命を、左殿に比売大神を祀る。本殿北妻下に一間社流造の式内社(ご祭神 武内宿禰)が鎮座する。祭礼は、転害会(碾磴会、手掻会とも)と呼ばれ、古くは勅祭であった。
●本殿・摂社
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これは八幡神を宇佐から影向した神行を再現するもので、佐保路門(転害門)が御度所として神輿がでる。付近の町も手貝町となっている。勅祭のころは、東大寺の僧が会行事に任命された。十月五日に行われる。この外に、お田植祭があり、節分の日に行われるが古い能楽を残しているといわれる。
●境内歌碑
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菅原道真
★百人一首
この度は幣もとありえず手向山紅葉のにしき神のまにまに
菅原道真公の詠まれた詩はこの神社を詠んだものである。
この時に腰掛けた石が『管公腰掛けの石』とし現在も残っており、学問成就の石として信仰を集めている。
湯原王
★万葉集 巻8~1550 
秋萩の散りのまがひに呼び立てて鳴くなる鹿の声の遥けさ 
湯原王は志貴皇子の子で天智天皇の孫に当たり、官位にこそ恵まれなかったが19首が万葉集に残る。特に情景を詠んだ歌に独自の感性が光り、天平前期を代表する歌人の一人です。
# by barakan1 | 2007-05-06 17:14 | 旅日記