2008年 06月 22日 ( 1 )

比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)⑤尾上神社2・・・

尾上神を(社殿を南から見る   加古川市尾上町長田字尾上林518
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a0016431_1311742.jpg●尾上神社の名鐘  国指定重要文化財「銅鐘」  
古歌に詠まれた天下に名高い朝鮮鐘で国の重要文化財に指定されています。
神功皇后が三韓征伐より御凱旋の時、お持ち帰りになったと伝えられていますが、実際には、新羅朝時代に造られたもので今から約1100年前のものである。
(千載集)             
高砂の尾上の鐘の音すなり暁かけて霜や置くらん 
源相方朝臣
高砂とたかくないひそむかし聞し尾上のしらべ松に恋しき
※※この 釣鐘は一度は高野山へ奉納されました。しかし、この鐘を鳴らすたびに、「おのえへ、いのー。おのえへ、いのー」(尾上へ帰ろう)と、聞こえてくるため、詳しく調べてみると尾上の鐘だと分かり、そして尾上神社に帰ってきたという伝説があるそうです。
※※響きの灘
尾上の鐘の響く範囲を響きの灘とする伝承があります。
尾上神社の美しい鐘の音色(盤渉調)は、その昔、多くの人々に親しまれていたのでしょう。

a0016431_13272636.jpg●尾上の松(相生霊松)
境内には、謡曲「高砂」に謡われた、相生霊松「尾上の松」があります。 尾上の松は、古来から様々な歌に詠まれてきました。
一木かと見れば二木を二木かと見れば一木を雌雄のこの松   隆正
一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が育つ喜瑞は神社の象徴であると言われています。
所は高砂の 尾上の松も年ふりて老ひの波も寄り来るや
木の下陰の落葉かくなるまで命ながらへて
なおいつまでか生き松のそれも久しき名所かな

初代尾上の松は謡曲「高砂」に謡われた霊松で、太さ五尋に及び、地上一丈ばかりのところから男松・女松に分れ、女松は直に生えて中天にひろがり、男松は這って地につき、又上って地に這う。その上った間を華表(鳥居)として、諸人が参詣したといいます。
●五代目「尾上の松」
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※※謡曲「高砂」の荒筋
肥後の国の一の宮、阿蘇神社の神主の友成という人が、都に上る途中、有名な高砂の松を見ようと高砂の浦へ立ち寄る。そこに尉(じょう・おじいさん)と姥(うば・おばあさん)が、熊手と箒を持って松の下を掃除している。友成が、この二人に、高砂の松と住吉の松が相生(夫婦)の松と呼ばれる理由を尋ねると、二人はその由来を語り、実は自分達はその相生の松の精で、これから住吉に行き、そこで待っていると語り、舟に乗って姿を消す。友成がこの二人を追って、住吉に行くと、二人は住吉の浜で神の姿を現わし、荘厳な神舞いを舞って、民の繁栄、君の寿命長久を寿(ことほ)ぐ。
友成の、高砂から住の江までの舟旅(道行)を歌ったのが、この歌詞の部分である。
謡曲“高砂”
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり


●都恋しき片枝の松
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神功皇后のみあとをしたって枝葉ことごとく東に向って張ったといわれる。その形状は、あたかも龍のうずくまった様にて、千載霜におごる色深く、誠に希世の老松であったが、昭和二十四年枯死。現在は三代目である。
●境内摂社 大村神社                 ●歳神社
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祭神大巳貴大神                     祭神大年大神 
ーー尾上神社HP--より
by barakan1 | 2008-06-22 13:49 | 旅日記