岸の姫松~阿倍寺塔芯礎探訪(2009.01.14)③天神森天満宮・・・

天神森天満宮  大阪市西成区岸里東2-3-19
ご祭神  菅原道真公
●西鳥居・参道
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一名「天神森天満宮」「天下茶屋天満宮」「子安天満宮」「紹鴎森天満宮」  
●南鳥居・参道 ●手水舎
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天神森天満宮は、菅原道真公が無実の罪で左遷され大宰府へと向かう道行きの途中、住吉大社へ参拝する際にこの地で休息をとられたという故事にちなんで村人たちが祠を建てて祀ったのが最初だといわれています。

岸の姫松~阿倍寺塔芯礎探訪(2009.01.14)③天神森天満宮・・・_a0016431_15264233.jpg●古そうな狛犬
14世紀から15世紀初頭にかけての応永年間(1394-1428年)には京都・北野天満宮よりご分霊を勧請したといわれています。また、ここは千利休の茶の湯の師匠としてその名を知られる武野紹鴎(たけのじょうおう)ゆかりの地でもあり、紹鴎森天満宮とも呼ばれています。


●境内・拝殿
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武野紹鴎(じょうおう)は、1502(文亀2)年に武田信久の長男として生まれます。文武両道に秀で、青年の頃は武野新五郎と名乗って仕官をしていたこともありましたが、戦乱の世を嫌って武士の身分を離れ、侘び茶の祖といわれる村田珠光の弟子・藤田宗理に茶の湯を、そして三条西実隆に歌道を学びます。師匠・藤田宗理も驚くほど茶道の才能に恵まれた武野新五郎は、やがて村田珠光の嫡男・村田宗珠に認められることとなり、惜しむことなく秘伝を伝承されたそうです。
●拝殿・本殿
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1532(享禄5)年、31際を迎えた武野新五郎は世俗を棄てて茶の道に生きることを決意、出家して武野紹鴎(じょうおう)と名乗ります。このとき、
種まきておなじ武田の末なれど荒れてぞ今は野となりにける
という歌を詠んで姓を武田から武野に変えたのは有名な話です。

岸の姫松~阿倍寺塔芯礎探訪(2009.01.14)③天神森天満宮・・・_a0016431_15161268.jpg●末社 天照皇大神
     倉稲魂大神
     猿田彦命   
が祀られています。

男児に恵まれなかった武野紹?に待望の嫡男・武野信村が誕生したのは1550(天文19)年のこと。これに喜んだ武野紹鴎(じょうおう)は、クスノキに覆われ茶の湯に適した名水の湧くこの地に記念の茶室を建て、風月を友として暮らすようになります。
ー神戸の空の下で。  ~近畿の史跡めぐり~ーより
●拝殿の東南にある子安石・神社
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この石は孕石(はらみいし)とも呼ばれ、昔から安産の神さまとして地元の方々に祀られてきたそうです。淀君が懐妊されたとき、豊臣秀吉公が参拝して安産を祈願し、無事に豊臣秀頼公が誕生したことから感謝の意をこめて社地として1町四方の土地が寄進されたそうです。
●紹鴎森地蔵尊                      天下茶屋あだ討ち供養塔。
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※大阪市街のど真ん中に、樹齢600年と推定されるくすのき(13本が大阪市の保存樹木に指定されている)の森は、「天神の森」と呼ばれ、大きなものは高さ18m、幹回り4mあまりにもなっている。確かにこんなに大きな木が何本も元気に茂っている様は非常に珍しく、貴重である。真夏などはキットセミの声もやかましい位に聞こえてくるだろうなぁ。
by barakan1 | 2010-01-17 15:38 | 旅日記
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