郡山市探訪(09.05.01)⑦大納言塚・・・終

大納言塚  奈良県大和郡山市蓑山町
●塚入口参道                   ●塚遠景(東→西)
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大和郡山市指定史跡
昭和50年(1975)10月2日、大和郡山市指定文化財(史跡)。豊臣秀長の墓所。秀長(1540~1591)は、豊臣秀吉の異父弟で、兄秀吉とともに戦国時代に活躍した武将である。
●墓所白塀
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天正13年(1585)、和泉・紀伊・大和におよぶ100万石の所領を有し、郡山城主となった。郡山城の建設に本格的にとりかかるとともに、「箱本」制度という独特な町方自治を行い、又、城下の商工業を育成し、今日の郡山の基礎を築いた。
●墓所全景
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天正19年(1591)1月22日、郡山城内で没した秀長(享年51歳)は、ここに葬られた。当初、今の芦ヶ池近くに豊臣秀吉が菩提寺大光院を建立し、院主に京都大徳寺の古渓和尚を当てて墓地の管理と菩提を弔った。
●五輪塔
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豊臣家が滅んだあと、大光院は藤堂高虎によって大徳寺の塔頭として京都に移築され、秀長の位牌は東光寺(のちの春岳院)に託された。その後墓地は荒廃したが、安永6年(1777)、位牌菩提寺春岳院の僧、栄隆や訓祥が郡山町中の協力を得て、外回りの土塀をつくり、五輪塔を建立した。
●案内板
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五輪塔は高さ約2メートルで、地輪の表面には、戒名「大光院殿前亜相春岳祥栄大居士」と刻し、台座には「春岳院現住法院訓祥、郡山内町中建立之」と刻む。
1996年3月
大和郡山市教育委員会
by barakan1 | 2009-05-11 20:13 | 旅日記
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