松原市探訪1(2009.03.10)③屯倉神社2・【酒屋神社】・・・

●屯倉神社南入口鳥居・拝殿
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屯倉神社境内社【酒屋神社】 式内社 大阪府松原市三宅中4-1-8
御祭神
本殿 津速魂命(酒屋権現)
●神社全景
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酒屋神社は、西方寺(三宅中5丁目)の北側に鎮座していましたが、明治40年(1907)4月に屯倉神社(三宅中4丁目)に合祀されました。旧社地は、いまでは三西町会児童公園(三宅中6丁目)になっていますが、その地には前方後円墳の権現山古墳が築造されていました。権現山古墳は全壊していますが、その名の由来は、酒屋神社が酒屋権現ともよばれていたことによります。
社地の西側に酒蓋池があり、その池の東北に「酒屋井」という井戸があって、そこから神が出現したと伝えています。この酒蓋池は昭和39年(1964)に埋め立てられました。
●鳥居           ●境内社 ・市杵嶋姫社    ・酒屋神社   ・琴平神社
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酒屋神社の「酒屋」名は、酒造に関係したものと思われます。同社は、津速魂命を祀っています。『新撰姓氏録』の河内国神別に「中臣酒屋連 津速魂命 19世孫真人連公之後也」とあります。
『新撰姓氏録』が編集された弘仁6年(815)以前、三宅に有力氏族の中臣氏の一族である中臣酒屋連が住み、津速魂命の19世孫の「真人連公」を祖先としていたのでした。氏族名から分かるように、同氏は酒造を担当しており、祖先神を酒屋神社として祀ったのでした。
・市杵嶋姫社             ・酒屋神社               ・琴平神社
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三宅の地は、かつての依網屯倉の故地にあたります。『延喜式』玄蕃寮式に、朝鮮半島の新羅国からの使節をもてなす際に「神酒」を三宅の近くの摂津の住道神社(現在の大阪市東住吉区住道矢田2丁目の中臣須牟地神社)で醸酒していることが記されています。
このことから、中臣酒屋連は依網屯倉で収穫された米で酒造をしていたと考えられます。もともと、中臣氏は神事に関わる職掌を世襲していましたので、酒は神に捧げるものとして造られたのでしょう。ほかにも、中臣氏の一族に中臣酒人宿禰氏が河内近辺におり、酒造にあたっていたことは同様の例です。
ー「歴史ウオークー10」ーより
■■屯倉(みやけ)について  (三宅や天美にあった大王家の直轄地)
三宅の地名の由来は、屯倉(みやけ)が設けられていたなごりでしょう。屯倉は、宮家・御宅などとも書き、大和王権の大王家の直営農地と考えられています。もともと、屯倉は収穫された稲を収める倉庫をさしましたが、のちそれに付属する土地(屯田(みた))やその土地の耕作民(田部(たべ))をあわせてよぶようになりました。
●境内社   天照大神社     素戔鳴社     大物主社     日吉神社
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大阪平野は、大和王権の直接の支配がおよぶ地域でしたから、比較的多くの屯倉が分布していました。『紀』によると、仁徳のころに茨田(まつた)屯倉(寝屋川市付近)や依網(よさみ)屯倉(松原市北部から大阪市住吉区)が見られます。また、6世紀前半の安閑(あんかん)大王の時代には摂津三嶋の竹村(たかふ)屯倉(茨木市)・河内桜井の桜井屯倉(東大阪市か富田林市)・難波屯倉(大阪市)・和泉の芽渟山屯倉(和泉市付近)が記されています。
●境内社   天津神社「天穗日命」元社、
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このうち、依網屯倉は地名から見て、河内国丹比郡依羅郷であった天美地区の城連寺・池内・油上・芝・我堂・堀や、同郡三宅郷の松原市北部に置かれていました。さらに、摂津国住吉郡大羅郷に含まれる大阪市住吉区我孫子・山之内・杉本・浅香・苅田・庭井町にも広がっていたと思われます。庭井には大依羅神社があります。 いまも、松原に三宅の地名が残っているのは、そこに屯倉を管理する役所や収穫物を納める倉庫が建てられていたからでしょう。同地に屯倉神社が鎮座しています。同社は平安時代の天慶5年(942)に、土師氏の祖である天穂日命や菅原道真を祭神として創建されました。社名の由来は、この地が屯倉管理の中心地でしたから、その址地にちなんで屯倉神社としたと考えられます。
依網屯倉の役所や倉庫群は、まだ見つかっていません。今後の発掘調査に期待したいと思います。
ー松原市・「歴史ウオークー31」より抜粋
by barakan1 | 2009-03-14 16:54 | 旅日記
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