大阪市(住吉区)探訪(2008.01.28)②天水分豊浦命神社(旧跡)・霰松原神社・・・

安立南公園(霰松原碑・霰松原神社・天水分豊浦命神社(旧跡)碑)北側より
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大阪市(住吉区)探訪(2008.01.28)②天水分豊浦命神社(旧跡)・霰松原神社・・・_a0016431_1631445.jpg天水分豊浦命神社(旧跡)  
大阪市住之江区安立2丁目55

祭神  天水分神

由緒
『住吉大社神代記』の子神の条に天水分豊浦命神の名が見える。古来よりの鎮座の神である。式内社である。明治四年住吉大社から独立、明治四十年に止止呂支比売命神社に遷座、境内末社となっている。


霰松原神社
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旧跡碑の建っている場所は、あられ松原神社となり、金高大明神、荒神、稲荷社の祠が並んでいる。この公園(安立南公園)にも大きい楠木があり、古社跡のおもかげを残している。
●金高大明神    霰松原荒神     瀧川稲荷大明神・榎明神・朝日明神
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霰松原について
万葉集卷1-0065
慶雲(きやううむ)三年丙午(ひのえうま)、難波の宮に幸せる時の歌
天武天皇の第四皇子 長皇子
霰打ち安良禮(あられ)松原住吉(すみのえ)の弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも
の歌などでよく知られています。
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この地は、奈良、平安時代は海に沿った堺まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じてすばらしい景観をみせ、多くの人々が訪れ、大阪と河内南部や紀州方面を結ぶ街道としても重要で、「岸辺の道」、室町後期からは”紀州街道」と呼ばれていました。
●碑の前の道( 左住吉大社                    右堺・和歌山 )
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※碑の前の道は紀州街道。高麗橋東詰を起点に、堺筋を南下、住吉大社の前をとうり、大和橋を渡って堺へ、そして和歌山に至っています。
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by barakan1 | 2009-02-08 16:55 | 旅日記
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