藻塩焼く「須磨」コース探訪(08・11・26)⑨須磨寺3(平敦盛)・・・

■須磨寺  神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
●境内・本堂
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藻塩焼く「須磨」コース探訪(08・11・26)⑨須磨寺3(平敦盛)・・・_a0016431_1351318.jpg●源義経卿腰掛松
この郎松は義経が腰を掛けて、敦盛の首実験をしたと伝えられるもの。


●平敦盛卿首洗池。
敦盛卿の刎ねた首をここの池で洗ったといわれる。



●三重塔
藻塩焼く「須磨」コース探訪(08・11・26)⑨須磨寺3(平敦盛)・・・_a0016431_139924.jpg●平 敦盛(たいら の あつもり)
平安時代末期の武将。平清盛の弟である平経盛の末子。位階は従五位下。官職にはついておらず、無官大夫と称された。
笛の名手であり、祖父平忠盛が鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』)という笛を譲り受ける。

平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷次郎直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。
●源平の庭
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直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。この事から、直実の出家の志が一段と強くなったという発心譚が語られる。「延慶本」や「鎌倉本」では、直実が敦盛の笛(または篳篥)を屋島にいる敦盛の父経盛の元に送り、直実の書状と経盛の返状が交わされる場面が描かれている。
●敦盛首塚
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※この出来事が熊谷次郎直実出家の契機になったと語られている。光明寺はまさにその直実(蓮生法師)によって創立された寺である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
by barakan1 | 2008-12-12 13:32 | 旅日記
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