西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)⑤北真経寺 ・・・

鶏冠山 北真経寺  向日市鶏冠井町御屋敷
南真経寺とは、もと一寺であり江戸時代前期の承応3年 幕府の佛教統制によって分立に至ります。
●北門より遠景  (本堂修理中にて見れませんでした)
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西国街道探訪Ⅲ(向日市)(08.11.05)⑤北真経寺 ・・・_a0016431_20362851.jpg鎌倉時代末期永仁2年(1294)京都に入った日像聖人は活発に日蓮の教えを説き、次第に有力な町衆を信徒に加え洛中に妙顕寺を建立した。後醍醐天皇より独立した一宗として公認されるに至りました。しかし、それまでの40年の間には比叡山を中心とする他宗からの迫害を受け二度三度と洛中を追放されました。西国街道沿いの向日神社や鶏冠井の集落に日像聖人の足跡がしるされたのは、この追放の時期のことです。
●拾遺都名所図絵より 鶏冠井村壇林
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その頃、鶏冠井(かいで)に密教寺の真言寺があり住持を実賢律師といいました。
徳治2年(1307)頃乙訓郡山崎付近にとどまった日像は、さかんに布教活動を行っていました。ある時、向日明神に法華弘通の祈願をされた折り、境内に野宿し一夜を明かしたところ白髪の明神が現れ、夢の御告を頂かれました。「汝、此の地に法華経を弘めよ」と、これを縁として日像は西ノ岡に於いて布教することになります。
●本堂外観                 ●日像坐像
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鶏冠井(かいで)の集落に於いては特に日像は住持の実賢と法論の末ついに実賢は日像に帰依し弟子となって真言寺を真経寺と改めることになりました。こうして真経寺は関西に於ける日蓮宗最初の寺院となり、以後日像の布教活動の拠点の一つとなったのです。
●鐘楼                ●妙見大菩薩
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江戸時代前期に南北真経寺に分かれた時 北真経寺は壇林(学問所)が設けられ、多くの僧が学び 教典の収集や教義書の出版などをしていました。明治初年に壇林は廃止され、本堂周辺の5つの大きな建物は取り壊され今日に至っています。
ーweb.kyoto-inet.or.jpーより
by barakan1 | 2008-11-23 20:46 | 旅日記
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