西国街道(山崎~島本~長岡天神)探訪(08.10.02)②妙喜庵・・・

                                ●後方の山は天王山です
西国街道(山崎~島本~長岡天神)探訪(08.10.02)②妙喜庵・・・_a0016431_1844351.jpg
豊興山 妙喜禅庵
京都府乙訓郡大山崎町大山崎小字龍光56
※拝観は、1カ月前にハガキで予約を取らなければなりません。


●待庵 (国宝)
日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休作と信じうる唯一の現存茶室である。現在一般化している、にじり口が設けられた小間(こま)の茶室の原型かつ数奇屋建築の原型とされる。寺伝には、天正10年(1582年)の山崎の合戦のおり羽柴秀吉の陣中に千利休により建てられた二畳隅炉の茶室を解体し移築したとある。慶長11年(1606年)に描かれた「宝積寺絵図」には、現在の妙喜庵の位置あたりに「かこひ」(囲い)の書き込みがありこのときにはすでに現在地に移築されていたものと考えられる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西国街道(山崎~島本~長岡天神)探訪(08.10.02)②妙喜庵・・・_a0016431_18124319.jpg
●山崎宗鑑と妙喜庵
当庵は連歌俳諧の始祖で知られる山崎宗鑑の隠棲地と伝えられます。宗鑑は近江源氏佐々木義清の子孫で、後土御門天皇の寛正六年(1466年)に滋賀県常盤村に生まれ名を弥三郎範重といい、足利九代将軍義尚の祐筆となりました。義尚の死去にあい、人生の無常を悟り髪を切って尼崎に隠居していたが、一休禅師の指導を受けてその禅風を伝え、明応年間に山崎に住まいしました。それから山崎を姓として連歌にふけり、油を荷って京に出て終日売り歩き帰庵するのを常としていました。
-妙喜庵の公式ホームページ、妙喜庵の歴史ーより
宵毎に都を出づる油売りふけてのみ見る山崎の月

※当然ながら、入口からの拝観になりました。それにしても、こんな処にと云っては失礼ですが・・・、国宝があるとはね!!(是非見てみたかったです)
by barakan1 | 2008-10-03 17:47 | 旅日記
<< 西国街道(山崎~島本~長岡天神... 西国街道(山崎~島本~長岡天神... >>