因幡国(河原~鳥取市)探訪(08.09.07)⑨伊福吉部徳足比売(いふくべのとこたりひめ)墓・・・終

伊福吉部徳足比売(いふくべとこたりひめ)墓跡  鳥取市国府町宮下
●無量光寺より、因幡国庁を見る
a0016431_1538871.jpg
●伊福吉部徳足比売(いふくべとこたりひめ)
因幡国の豪族である伊福吉部氏の娘として生まれた伊福吉部徳足比売は、藤原京にあった文武天皇に采女として仕えた。707年(慶雲4年)には地方豪族としてはまれな従七位下の位を授けられている。
●無量光寺全景(徳足比売墓への道)
a0016431_1540849.jpg
しかしその後、徳足比売は病を得て、故郷因幡国に帰ることなく708年(和銅元年)7月1日に大和国で没した。 徳足比売の遺体は、3年間のもがり(仮埋葬)の後、710年(和銅3年)10月に当時流行し始めていた火葬にされた。
●墓跡への入口
a0016431_15404625.jpg
遺骨は彼女の故郷因幡国に送られ、同年11月13日に彼女の生まれ育った鳥取平野を見下ろす稲葉山の中腹に葬られた。
伊福部氏は因幡一の宮である宇倍神社の司祭を長く務めた。(明治まで)
●寺よりの道は急坂の連続です
a0016431_1543765.jpg

伊福吉部徳足比売墓跡と遺物
a0016431_1619276.jpg
江戸時代の1774年(安永3年)、因幡国法美郡稲葉郷宮下村(現・鳥取県鳥取市国府町宮ノ下)にある無量光寺の裏山である宇部野山(現・稲葉山)の中腹から、石櫃に納められた骨蔵器が発見された。
a0016431_15461936.jpg
石櫃は140センチメートル×86センチメートル・厚さ47センチメートルの2枚の凝灰岩で作られ、蓋石と台石から成っていた。蓋石の中央には穴が作られて骨蔵器が納められていた。 骨蔵器は鋳銅製の合わせ蓋式の容器で、高さ16.5センチメートル・蓋の直径26.4センチメートルあった。骨蔵器の中には、青灰色の灰のようなものがあったと伝えられている。蓋の表面には銘文が16行にわたる108文字の漢文で放射状に刻まれていた。
●因幡万葉歴史館(徳足比売像・墓誌・骨蔵器)
a0016431_15463788.jpg

前項で記した伊福吉部徳足比売の生涯と葬送の経緯は、この銘文(墓誌)から明らかになったものである。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※◆徳足比売墓跡を求めて無量光寺をウロウロしていると、旧陸軍墓地を清掃されえているおじいさんがおられたので、場所を伺うと、入口はすぐに分かったのですが、そのあと付け加えられた言葉がいけません。「あの辺はクマが時々出るので、気をつけて行きなされや!」
a0016431_16142826.jpg山門左側より登り始めたのはいいのですが、雨はシトシトと降ってくるわ,クマは気になるわ!周りの雰囲気を楽しむ余裕もあればこそ!! クマ避けにと下手な口笛を吹きながら、文字通りヒイヒイ言いながら墓を目差しました。
墓は穴を穿った石板が半分埋もれているだけです。周りはコンクリートの覆いのような建物が建てられ、保護されていました。骨蔵器や墓誌から想像していたロマンチックなイメージとは大分かけ離れていましたが・・・。でも、それはそれとして、墓を訪ねたという満足感はありました。
その後、雨が激しくなってきたので、急いで山を降りましたが、道がぬかるみ始め、今日で二度目のショック!!脚がツルリと滑りものの見事にスッテンコロリとやってしまいました。幸いなことにカメラだけは無事でした。 ヤレヤレの探訪最後の徳足比売墓訪問でした。
by barakan1 | 2008-09-30 16:25 | 旅日記
<< 西国街道(山崎~島本~長岡天神... 因幡国(河原~鳥取市)探訪(0... >>