比治奇の灘(加古川~高砂)探訪(08.06.16)⑧高砂神社2・・・

■高砂神社    高砂市高砂町東宮町190
●三代目「相生の松」
その始まりは、高砂神社相生松略記によると、
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「ある時祥瑞があって神殿の傍らに一夜に一本の松が生えた。根は一つで雌雄が左右に分かれて枝葉が茂った。尉姥の二神がこの松の元に現れて、われは伊弉諾・伊弉冊(イザナギ・イザナミ)の神であると告げて姿を隠された。この神は夫婦の道を始められた神々で、相生の松は尉姥の像を作り、それは伊弉諾・伊弉冊尊であって当社が発祥である。」
松の様子を『相(あい)ともに生まれ、生きて老いるまで』と表したことから『相生松』と名づけられました
●尉姥神社                    ●五代目「相生の松」
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人々は松の木に現れた二神を「尉と姥」の御神像として祀り、平和と長寿の象徴としてきたが、天正年間戦乱のため行方知れずになってしまった。幸いこの御神像が寛政7年京都で見付かり、この社に御遷座、奉祝祭が盛大に行われたという。 -高砂神社HP-より
◆尾上の松と高砂の松◆
どちらにも同じような伝承があり、どちらが本当か私にはわかりませんが・・・。高砂は、江戸時代に池田輝政が播磨の領主になってから作られた港町で、それまで加古川の港町の機能は今の加古川市の尾上にあったと言われています(古くは尾上の方が開けていた)。
また、謡曲「高砂」に歌われている相生の松、は尾上神社の尾上の松のことと何処かで読んだように記憶しています。
(元和年間に一国一城令により姫路城主本多忠政は高砂城を破却して、その跡に高砂の浦にあった牛頭天王を遷座したのが高砂神社である。)
・・・が私は、古くは尾上も高砂も(現加古川河口周辺部)一体であって、同じ所を指していたのでは思います。従ってどちらの話も本当なんでしょう!!
いずれにせよ、この付近から尾上にかけては、賀古(加古)の松原と呼ばれる光風明媚な景勝地であったのでしょう。
●高砂神社境内社    
能舞台●愛宕社                ●弁財天
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●稲荷社              ●神明社               ●住吉社
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●猿田彦大明神j・秋葉大明神・天満社・粟嶋大神
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●和魂神社                 ●金毘羅社
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■神社案内図                ●高砂城跡の碑
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by barakan1 | 2008-06-27 16:55 | 旅日記
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