東大阪市(石切剣箭神社~日下あたり)探訪(08.05.02)⑦石切剣箭神社(上之宮)境内社・・・

石切の御滝
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御札池
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「御札池」と書かれた小さな池に、満願成就叶った人々が石切さんに感謝の意を込めて「御札亀」と呼ばれる小さな亀の置物を池の上に浮かべて行くのだ。

婦道神社
祭神 弟橘比売 (おとたちばなひめ)
日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征途上、相模から上総に渡るとき海が大いに荒れた時、海神を鎮めるために入水したといわれてる。日本武尊の妃(古事記による)で、穂積(ほづみ)忍山(おしやま)宿禰の娘。
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古事記 弟橘比売
さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

※古事記によれば、倭建命は焼津の野で国造(くにのみやつこ)の火責めに遭ったが、草薙の剣で草を刈り払い、火打で迎え火をつけて危機を逃れた。この時、同行していた弟橘比売の身を案じ、火中を潜って安否を問うたのであろう
a0016431_1439553.jpg【由来】
倭建命が走水の海(いまの浦賀水道)を渡る時、渡の神が波を起こして船を進ませなかった。そこで后の弟橘比売は「あれ御子にかはりて海中に入りなむ。御子は任(ま)けらえし政(まつりごと)遂げて覆奏(かへりごとまをし)たまはね」と言って、菅畳八重、皮畳八重、きぬ畳八重を波の上に敷いて、その上に降りた。すると荒波は凪いで、船は進んだ。比売は我が身を捧げて神の怒りを鎮め、夫の危難を救ったのである。この時、相模の野で夫が我が身を案じてくれたことを思い出し、比売が詠んだと伝わる歌。七日後、比売の櫛が海辺に流れ着いたので、これを取って比売の御陵を造ったという。
ー千人万首よりー抜粋
登美霊社
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饒速日尊の妃で可美真手命の母君である登美夜比売(三炊屋媛)をお祀りしているが、その社殿は、前方後円墳と竪穴式住居を模している。
八代竜王社
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by barakan1 | 2008-05-14 14:49 | 旅日記
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