母の故郷(美作市・日指)を訪ねる(08.04.19)

母の故郷「美作市・日指(ひさし)」を訪ねる (08.04.19)
津山(妻の実家)へ帰省する途中に私の母の、そして祖母の故郷、英田郡作東町(現美作市)日指(ひさし)があります。思い立ち、久しぶりに墓参りに立ち寄りました(5年?10年振り?)。
本家の方が日頃手入れをしてくださっているのでしょう、綺麗に掃除がされ、以前は墓を覆い尽くしていた雑木も綺麗に切られ片側は完全にオープンになり遠く山々を見渡せる展望台のようになっていました。
●祖母の家があったところ(真中の畑の右隅)
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また、来るたびに立ち寄れなかった、30数年ぶりに幼馴染を尋ねました。生憎、幼馴染は畑に行って留守でしたが、そのお母さんが居られ、そう!!50年ぶりに話をしました。面影もなかったですが、帰り際に「達者でな!また来てください!といって笑った顔に初めて少し昔の面影を見ることができました。帰り際には採りたてワラビとウドをいただきました。本当に懐かしく、楽しい墓参りとなりました。
次回には是非、幼馴染に会いたいものです。
日指
日指は山上の高地で、朝から夕方まで日差しが申し分ないところから、この地名ができたと言われています。この集落は、平安末期がら鎌倉初期にかけて開創されてた古刹長城寺とともに開けました。
長城寺は戦国時代と江戸中期に再三火災にあい、ほとんどが焼失して、今はその後建てられた本堂、庫裏、鐘楼などを残すのみで、昭和十年頃までは、正月の会式には「日指の毘沙門まいり}といって近郷から数千の人出で賑わったものです。ー看板よりー
※長城寺 真言宗御室派 美作市(旧英田郡作東町)日指319
日指毘沙門天の由来
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当山本尊毘沙門天は、本朝最初の出現にして今を距る千四百年の昔、聖徳太子十六歳の御時、守屋大連御誅罰の際、用明二年(586)3月3日生身の毘沙門天憤怒の姿にて出現し給い、禅定の弓・千恵の矢忽ち守屋の胸を貫き遂に逆臣を滅し給う。
奈良朝の高僧行基菩薩日指山に登らるや山中振動し、如意珠の岡の頂に、方八尺の櫃を感得し給う。
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「南無大慈大悲福田多門天王宇賀宮天目一箇尊」と銘あり。
堂塔営構の対眼を起こし、この櫃の四周を道場の基礎として善美を尽くして、本堂を造立し、自ら天王の尊像を一木一像・一刀三礼して彫刻し、御丈五尺三寸で左手に宝塔・右手に宝剣を持って十万の敵をひしぐ憤怒の形相で足下に天の邪鬼を踏み全身黒肉色で頗る入心の妙を極め霊容峻厳にして威四辺を払う。
●毘沙門堂
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豊臣秀吉朝鮮征伐の時、戦勝祈願霊験有りて感激のあまり尊前に百間の馬場を礎奉納される。
●豊臣秀吉奉納の馬場
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堂塔伽藍具備し、壮麗を極めしも数度の兵火によりて灰儘に帰したが、多数信徒の帰依篤く法灯維持す。
例年正月3日は福徳瑞喜の霊験を授かろうと参詣者多数あり今日に至る。
古歌
日指山尊き福の神様や金を授づくる毘沙門天
主原弘栄
日指山旭かがやく霧の上幸福授ける毘沙門天
ー作東町観光協会ーより
※子供のころ母から、金無垢の毘沙門様(仏様?)の話を聞いたことがあります。昔日指の長城寺には金無垢の毘沙門サマがあったそうですが、坊主が生臭で戦後(?)のドサクサに何処かへ売り払ってトンずらしたそうです。そんなことがあってから、毘沙門サマへのお参りも廃れてしまったのだと…云っていたように思います。
by barakan1 | 2008-04-25 20:52 | 旅日記
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