美作国の神社探訪(07.10.22~24)④美作総社宮・・・2

■美作総社宮     岡山県津山市総社
●神社正面より(東→西)
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由緒
美作総社宮は社記に欽明天皇の二十五年 (およそ1400年前)大巳貴命(大国主命) を字本館に(西方およそ1キロ)にお祀 りしたのがはじまりと伝えられた。
●神社後方より(西北→)
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和銅六年(西暦713年)備前国から 六郡を割いてはじめて美作国が置かれ その翌年国府がこの里に開府されました。 その後美作の国司が社殿をいまの社地亀 甲山に移して大巳貴命を主祭神として 一宮(中山神社)二宮(高野神社)の両 大社をはじめ美作国六十五郷の総べての 社祇を合祀して総社宮となづけてその みちおよそ五百年間歴代の国司はみな このご神意を奉じて国内の政治を執り行 いました。
●神社後方より(西南→)
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その後鎌倉時代になって国府がすたれた あともこの社は美作三大社の一つとして 広く士民より崇祈され近世のはじめ美作 国主森氏は多くの神領を寄進しのちの松 平氏もまた祭祈料を奉納し明治維新後は 県社に列せられました。
現在の本殿は永禄十二年(西暦1569年)に毛利元就が造営したものでのち 明暦三年(西暦1657年)に国主森 長継が大修理を加え近く昭和七年に国 と氏子の崇敬者一同の協力によって解体 修理が行われました。
●北→南
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この社殿の造りは入母屋妻入の独特な様 式をもち規模、豪壮で華麗な彫刻を総社 宮に配置した桃山時代の代表的なすぐれ た建造物で全国の総社宮のうちで当社の みが大正三年国宝に、現在は国の重要文 化財に指定されています。-境内案内ー
by barakan1 | 2007-11-03 13:02 | 旅日記
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