紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・

■大国主(おおくにし)神社   紀の川市貴志川町國主1
●社標碑            ●一の鳥居
紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・ _a0016431_16143714.jpg
祭神
大国主命
(配祀神)天照皇大神、(合祀神)権大神、(境内社)市杵島比売大神
●神社境内全景
紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・ _a0016431_16152332.jpg
由緒
紀伊続風土記によれば、八十神等の危難から逃れ、五十猛命のもとへ赴こうとした大国主命が当地を訪れた事を由緒としている。*1 この説話は古事記では母の神が大国主命を紀の国の大屋毘古の神のもとに逃がしたとある。
●二の鳥居・神舞殿と奥に弊拝殿
紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・ _a0016431_1619455.jpg
●手水舎                   ●神舞殿(高床式舞台造)
紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・ _a0016431_16162395.jpg
五十猛命と大屋毘古命を同一神とする見方があるが、京都の八坂神社の八御子神の中に五十猛命と大屋毘古命は別の神としてカウントされている。元々別の神であったのがいつの間にか同一神とされたのであろう。
●本殿(三間流造)
紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・ _a0016431_16194230.jpg

紀伊と出雲とは後の生け贄を捧げる話、須佐之男命の由来、五十猛命やイザナギ命の終末の地などよく似た説話を共有しており、古来より人の行き来が多かったものと思われる。
紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・ _a0016431_16213571.jpg●本殿前狛犬
お姿
貴志川が神社の東側を北上し、やがて紀ノ川に合流する。近くに貴志川で最も深い国主淵(くにしふち)があり、龍神の住む池として生け贄を捧げる伝承が 古来よりあった。
参道は長い。一般道として車も往来している。陽向山の中腹に西向きに鎮座している。本殿は厳か、陽向山には古杉、檜などが鬱蒼と茂っている。ー神南備にようこそーより
●薬師寺板碑群
紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・ _a0016431_16261899.jpg

■国主淵(くにしぶち)の民話「浮いた仮面」
その昔、大旱ばつがありました。貴志川も川原と化し、国主淵だけに水がたまっていたのです。そこで庄屋たちは相談し、この水をかする(くむ)ことにし、大勢の農民を集め、水車でかすり出すと、淵の竜宮穴の入り口をふさいでいる大木が見えました。この大木を除くとまだまだ水が出ると庄屋たちは考えました。
●貴志川・国主淵(くにしぶち)
紀の川市探訪④(07.10.12)⑨大国主神社・・・ _a0016431_16251375.jpg
そこでこの役を岸小野の郷士、橋口隼人に頼み、隼人は桜井刑部に命じました。刑部は早速淵底にもぐり、やっとのことで大木を動かしました。すると、一天俄にかき曇り雷とともに豪雨が降りだし、人々は恐れおののき逃げまどいました。刑部はようやく鞍懸岩へ泳ぎつき、水面を見ると、たくさんの仮面が呪うように、笑うかのように浮き沈みしています。「おのれ」と再び淵に飛び込み、翁の仮面、三番そうの仮面、鬼の仮面を拾いあげ、その一つを時の領主に献上し、一つは高野山に納め、あとの一つは橋口家で保管したということです。ー新・紀州語り部の旅ー(より抜粋)
by barakan1 | 2007-10-26 16:37 | 旅日記
<< 紀の川市探訪④(07.10.1... 紀の川市探訪④(07.10.1... >>