明日香・甘樫丘周辺探訪(07.08.24)②剣池~豊浦宮址・・・

■剣池(つるぎいけ、石川池)
橿原神宮駅を下り、東に10分ほど行くと、剣池に出ます。「古事記」に第8代孝元(こうげん)天皇の御陵は、剣の池の岡の上にある。と記され、池の南東から孝元天皇の「剣池嶋上陵」へ行くことが出来ます。
★★紀皇女(きのひめみこ)の御歌一首
巻3-0390 
輕の池の浦廻(うらみ)廻(もとほ)る鴨すらも玉藻の上に独り寝なくに
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巻13-3289 
み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちば)に 溜(た)まれる水の 
ゆくへなみ 我がする時に 逢(あ)ふべしと 逢ひたる君を 
な寐(い)ねそと 母聞こせども 我が心 清隅(きよすみ)の池の 
池の底 我れは忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに

第15代応神(おうじん)天皇の時、軽(かる)池、鹿垣(かのかき)池、廐坂(うまやさか)池と共に「剣池」も造られました。なお、「剣池」とは、現在の「石川池」です。「日本書紀」に635年(第34代舒明天皇7年)7月瑞蓮が剣池に生長した。一茎に二つの花がある。と書かれています。ー奈良観光より抜粋ー

■向原寺(推古天皇豊浦宮跡・豊浦寺跡)
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「甘樫丘」の北側にある、浄土真宗、太子山「向原寺(こうげんじ、県史跡・豊浦寺跡)」があります。552年(欽明天皇13年)蘇我稲目が百済の聖明王から贈られた金銅の釈迦佛を賜り、小墾田(おはりだ)の家に安置し、次に向原(むくはら)の家を寺にしたのが始りで、後に物部尾輿によって焼かれ、593年推古天皇がここ豊浦で即位、603年小墾田宮へ移る迄の宮で、その跡地を蘇我馬子が譲り受け、尼寺の「豊浦寺」を創建、634年(舒明天皇6年)塔婆を建立し、大官、飛鳥、川原、坂田と共に飛鳥五大寺の1つで、江戸時代に「向原寺」に継承されました。
★★故郷の豊浦寺(とよらのてら)の尼が私房(いへ)に宴する歌三首
右の一首は、丹比真人國人。
巻8-1557 
明日香川ゆき廻(た)む岡の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ
右の二首は、沙弥尼等(さみにども)。
巻8-1558 
鶉鳴く古りにし里の秋萩を思ふ人どち相見つるかも
巻8-1559 
秋萩は盛り過ぐるをいたづらに挿頭(かざし)に挿さず帰りなむとや

■日本初の仏像を投げ込んだ「難波池」
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「向原寺」の一角、直ぐ南に小さな「難波(なんば)池」があります。池の中に小さな社が建てられ、日本書紀によると、552年(第29代欽明天皇13年)10月13日我が国へ初渡来の釈迦仏を蘇我稲目が賜り、我が国初の寺「豊浦寺」へ祀られましたが、後に疫病が蔓延し、災害は仏教崇拝によると云う理由で、廃仏派の物部尾興(もののべのおこし)によって、仏像が「難波の堀江」へ投げ込まれ、その後、602年(第33代女帝推古天皇10年)4月信濃国(長野)麻績の里人、本田善光と子の善佐によって拾われ、現在は信濃の「善光寺」の本尊として祀られています。ー奈良観光より抜粋ー

●●甘樫丘より、西北を見る(畝傍・剣池・豊浦寺址・明日香川)
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by barakan1 | 2007-08-28 13:11 | 旅日記
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