敏馬(みぬめ)・処女塚(おとめつか)探訪(07.08.08)⑨西求女塚古墳・・・

●灘区・岩屋交差点より西求女塚古墳あたりを見る
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■西求女塚古墳    神戸市灘区都通3丁目
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地元が提案した西求女塚古墳公園構想(味泥・祭の下町計画2号より)
●西側登り口と後方墳部の廻廊部
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西求女塚古墳は四角い方墳が二つ繋がった形の前方後方墳です。
大きさは全長97メートル。竪穴式石室から中国製の剣・刀・槍などが出土し、4世紀ごろの神戸地方の有力豪族を葬った墓だと言われています。
●前方部より後方墳部を見る
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前方部に奈良の(一説には卑弥呼の墓ともいわれる)箸墓古墳と同じ形式を持つことから、この地方最古の古墳であろうとも。実際に卑弥呼の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡も出土しています。  ー能楽の渕ーより
●後円墳部                    ●前方部
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※今回の発掘調査以前は「前方後円墳」と考えられていた。

★★大伴宿禰家持
処女(をとめ)墓の歌に追ひて和(なぞら)ふる一首(ひとうた)、また短歌
巻19-4211 
いにしへに ありけるわざの くすはしき 事と言ひ継ぐ
血沼(ちぬ)壮子(をとこ) 菟原(うなひ)壮子の うつせみの 名を争ふと
玉きはる 命も捨てて 相共に 妻問ひしける
処女らが 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて
秋の葉の にほひに照れる 惜身(あたらみ)の 盛りをすらに
大夫(ますらを)の 語(こと)労(いとほ)しみ 父母に 申し別れて
家離(さか)り 海辺に出で立ち 朝宵に 満ち来る潮の
八重波に 靡く玉藻の 節(ふし)の間も 惜しき命を
露霜の 過ぎましにけれ 奥つ城(き)を ここと定めて
後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと
黄楊(つげ)小櫛(をぐし) しか刺しけらし 生ひて靡けり


●西求女塚古墳(北→南、前方部を見る)
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反し歌
巻19-19-4212 
処女らが後の表(しるし)と黄楊小櫛生ひ代り生ひて靡きけらしも
●西求女塚古墳(北→南、後方墳部を見る)
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※ここも、43号線の側で岩屋交差点の近く、市街地のど真ん中です。昔日はここらあたりまで海岸線が来ていたそうですが・・・。いまはもう、想像すら出来ません。
by barakan1 | 2007-08-17 13:21 | 旅日記
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