敏馬(みぬめ)・処女塚(おとめつか)探訪(07.08.08)⑥東明八幡神社・・・

■東明八幡神社  神戸市東灘区御影塚町2丁目
●石屋川橋より南(海側)・北(山側)を見る
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●神社正面鳥居・手水 (震災で倒れたのでしょうか、キンピカの鳥居でした)
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祭神:應神天皇
-由緒-
神功皇后が朝鮮半島へ船出の際、武内宿彌大臣(三代の天皇に仕えた人物)が、その健勝を祈ってこの地に松を植え、その松は枝葉も繁り大木となりました。 後年宿彌はこの地を訪れ、應神天皇の御偉徳を称えて松の傍に祠を建て、 神霊を勧請して、正八幡宮と称し、遠目の郷(東明)の鎮守としました。
●拝殿
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昔、この辺りを東明村と呼んだ。
東明の地名由来は、武内宿彌が魚崎で軍船を造るのをこの付近から「遠目」に
見ながら指図したからとか、 荘(徳井荘)の中心から遠くに見えるので「遠目」と言っていたのが訛ったからとも、 また、処女塚の処女(オトメ)が訛ったとする説、 氏神八幡神社の灯明田にちなむなどなどの諸説ある。
-神戸文書館より引用-
●拝殿・本殿
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その後、貞観の代に九州の宇佐八幡宮の御神霊を石清水へお遷しの砌(みぎり)、風輦が当社で休息されたと伝えられています。
古来より厄除け、息災、願望成就の神様として信仰されています。
-説明板より-
●式内松」
今から約1700年以上も昔、式内宿彌がお植えになった松は江戸時代には、
幹が5mもある巨木となり式内松と呼ばれ摂津の名所となりました。 しかし、明治の代となって松は枯れてしまい、現在はその一部を保存し祀っています。
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-大中臣爲村-
立ち寄りていざ言問わんこの里の社の松に古き昔を  
●境内末社(浅香稲荷大明神・高良宮・???)
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by barakan1 | 2007-08-14 12:48 | 旅日記
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