橿原市~明日香村探訪③(07.03.22)⑦引計皇子神社(近飛鳥八釣宮跡)①・・・

■近飛鳥八釣宮跡(引計皇子神社)
●八釣村落(西→東)八釣山、高家方面を見る(左八釣山、右神社社叢)
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飛鳥坐神社の北側、八釣川のそばの道を東に、2キロ余上ると多武峰の中腹の高家(たいえ)にいたる。道は大字八釣、顕宗天皇「近飛鳥八釣宮跡」を過ぎて、八釣山の南裾を登ってゆく。-万葉の旅・大和ーより
八釣は「日本書紀」の顕宗元年に「公卿百寮を近飛鳥八釣宮に召して、天応の位につく」と見える地である。
また、八釣山は明日香村八釣の東北に見える山とされる。
●引計皇子神社(近飛鳥八釣宮跡)
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第23代 顕宗(けんぞう/けんそう)天皇
異称: 弘計天皇(をけのすめらみこと:日本書紀)。哀祀命(おけのみこと:古事記)。来目稚子(くめのわくご)
父:  市辺押磐皇子(履中天皇の子)
母:  蟻臣(ありのおみ)の娘、夷媛(はえひめ)
皇后: 石木王(いわきのおおきみ)の娘、難波王(なにわのきみ)
皇妃: 難波小野王(なにわのおののみこ)
宮:  近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや:奈良県明日香村八釣)
陵墓: 傍丘磐杯丘南陵(かたおかのいわつきのおかのもなみのみささぎ)
●神社境内
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◆ー日本神話の御殿・古事記ーより
★顕宗天皇
第23代顕宗天皇は兄の意祁【オケ】命から皇位を譲られて即位した。その父の市辺忍歯【イチノベノオシハ】王は第21代雄略天皇によって狩場で殺害されており、天皇がその父の遺骸を探し求めると、置目老媼【オキメノオミナ】がその場所を正確に覚えていた。そこで天皇は父の御陵を作り、幼かった自分たちに危害を与えた者たちに処分を下した。そして父の仇である雄略天皇の霊】に報復しようとしたが、意祁【オケ】命の説得により、その御陵の土を少し掘っただけで後世への示しとした。
●拝殿
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★置目老媼
この天皇が、その父王の市辺【イチノベ】王の御骨を探した時、淡海国にいる賤しい老媼が参上して、「王子の御骨を埋めた所を、私はよく知っています。また、その御歯によってわかるでしょう」と申し上げた。御歯は三枝のような押歯であった。
そこで人を集めて土を掘り、その御骨を求めると、その御骨を見つけたので、その蚊屋野【かやの】の東の山に御陵を作って葬り、韓袋【カラフクロ】の子らにその御陵を守らせた。そうした後に、その御骨を持って戻った。
●本殿
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そして帰り上って、その老媼を呼び、その見失わずその地を覚えていたことを誉めて、名を贈って置目老媼【オキメノオミナ】と名付け、更に宮中に召し入れて丁重に接した。そして、その老媼の住む家を宮の傍に作り、毎日のように必ず呼んだ。そのため、釣鐘を御殿の戸に吊るし、その老媼を呼ぼうと思った時は、必ずその釣鐘【つりがね】を引き鳴らした。
そして御歌を作った。その詠【よ】んだ歌は――。
【111】
浅芽原小谷を過ぎて百伝ふ鐸響【ぬてゆら】くも置目来らしも 
そうこうして置目老媼が、「私はひどく老いてしまいました。故郷に退きたいと思います」と申し上げた。そこで申し出の通りに退いた時、天皇が見送って詠【よ】んだ歌は――。
【112】
置目もや淡海の置目明日よりはみ山隠りて見えずかもあらむ 
by barakan1 | 2007-03-29 15:20 | 旅日記
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