橿原市~明日香村探訪③(07.03.22)②厩坂寺跡・厩坂宮跡・・・

■厩坂寺跡(山階寺→厩坂寺→興福寺) 所在地;橿原市石川町
●東→北
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興福寺は藤原氏の氏寺で、始祖藤原鎌足が大化改新の成就を祈願し、その志を遂げたので丈六(約5m)の釈迦三尊を造ったが、安置する堂宇の建立を見ないうちに没したため、鎌足の遺志をついだ夫人の鏡女王(かがみのひめみこ)が山城国山科に創建した山階(やましな)寺にはじまる。
その後、天武天皇により大和の飛鳥浄御原(あすかきよみはら)に都が移されると(天武元年672)、寺も高市の厩坂(うまやさか)に移され厩坂寺と呼ばれた。
さらに和銅3年(710)の平城遷都とともに、鎌足の子の不比等(ふひと)によって平城の地に再度移され、名も興福寺と改められた。
●南→北
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厩坂宮跡
豊浦宮は蘇我稲目の邸宅を寺にした向原寺跡に建てられた宮で、推古天皇の宮殿(592年)。603年に推古天皇は小墾田宮に宮殿を移した。 その後舒明天皇になると、630年に飛鳥岡本宮を宮殿とし、636年焼失のため田中宮を再建。640年厩坂宮へ移る。 643年百済宮を完成させる。(飛鳥変遷の中の宮跡の一つです)
●跡地(説明版も目印もなにもなく、ただの荒地に見えます)
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★大和国高市郡厩坂にあったと伝わりますが、正確な位置は不明とされます。
  この敷地は有力候補地です。
★※橿原神宮駅をおり、真っ直ぐに東に向かうと、丈六の交差点を渡って3・40m行くと北側(左手)に栗の木がが疎らに生えた土壇のような場所があります。そこが厩坂寺・宮跡です。普通に歩くと見逃してしまう遺跡でしょう。
by barakan1 | 2007-03-24 16:04 | 旅日記
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