田原本町探訪(07.03.01)⑤村屋坐弥富都比売神社(むらやにますみふつひめ)-2・・・

■村屋坐弥富都比売神社(むらやにますみふつひめ)、
境内小社(いずれも式内社)
●服部神社              ●村屋神社
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★服部神社(はっとりじんじゃ)
祭神
天之御中主命、天之御鉾命
大字大安寺カキノモリに鎮座していたが、南北朝時代に戦火に遭い、現在地に移される。
★村屋神社(むらやじんじゃ)
祭神
天津屋根命、経津主神、比咲大神、武甕槌神、大伴健持大連、室屋大連
本社東の川辺、字宮ノ山に鎮座していたが天正年間、現在の地に移された。
●久須須美神社         ●市杵嶋姫神社・物部神社
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★久須須美神社(恵比須神社)(くすすみじんじゃ)
祭神
天之久久之遅命、事代主命
本社東の川辺、恵比須山に鎮座していたが、明治初年に現在地に移される。大字伊与戸の氏神であった。
★市杵嶋姫神社(いちきしまひめ)・物部神社(もののべ)
祭神
炊屋姫命、宇麻志摩遲命 配 物部守屋連
由緒不祥、神主の祖神を祀ったといわれている。
■壬申の乱古戦場
その森の東隣を、古代の幹線道路「中ツ道」が南北に通っていた。そして古代最大の内乱、壬申の乱(672~673)で重要な場所のひとつとなった。
●拝殿
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日本書紀によれば、天武天皇側の武将、大伴連吹負(おおとものむらじふけい)は近江朝廷軍に苦戦。中ツ道を南下してきて村屋に陣を張った近江軍の廬井造鯨(いおいのみやつこくじら)に攻められたが、何とか防戦した。そして天武側は「箸墓(古墳)のほとりの戦い」で鯨を敗走させる。
●古道「中ツ道」
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吹負が鯨に対峙(たいじ)する直前、村屋神が神主に乗り移って吹負に「わが社の中の道を軍勢がやってくる。社の道で防げ」と告げた。この功績で、村屋神は同様のお告げをした事代主神(ことしろぬしのかみ)や生霊神(いくたまのかみ)とともに天皇から位階を得ている。ーアサヒコム・マイタウンー
●神社裏(東側)より、三輪山・龍王山の山並みを見る
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写真の初瀬川を左に下ると(井上)を経て池神社へ至ります。
巻7-1256 
春霞井(ゐ)の上(へ)ゆ直(ただ)に道はあれど君に逢はむと廻(たもとほ)り来(く)も
古にはこのような光景がこの辺りに見えたのでしょう!・・・
by barakan1 | 2007-03-06 19:19 | 旅日記
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