大宇陀町~菟田野町探訪(06.10.19)⑦⑧日張山・青蓮寺(ひばりやませいれんじ)・・・

■日張山・青蓮寺(ひばりやませいれんじ) 宇陀市菟田野区宇賀志1439
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菟田野の中心部から南東におよそ4キロメートル。標高595メートルの日張山の中腹に、ひっそりとたたずむ青蓮寺。うっ蒼とした杉木立の間を歩きつづけると、やがて目の前にぽっかりと空の見える所。小さな流れ、宇賀志川の源流にかかる無常橋(むじょうばし)をわたり、山道を右手にとってつづら折れに登りつめたところに浄土宗の尼寺・日張山青蓮寺(ひばりやませいれんじ)があります。
●山門
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◆中将姫(ちゅうじょうひめ)
奈良朝天平宝字(ならちょうてんぴょうほうじ)4年(760)、右大臣藤原豊成(ふじわらとよなり)公の息女中将姫は、継母のざん言により14歳のときここ日張山に配流されました。しかし、家臣、松井嘉籐太春時(まついかとうたはるとき)と妻静野(しずの)の情けによって助けられて、ここに草庵を結び2年6ヶ月の間、閑居練業(かんきょれんぎょう) 、念仏三昧(ねんぶつさんまい)の日々をおくりました。
●境内
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父、豊成公は、ある日この地に狩りに来て中将姫と不思議な再会をはたします。奈良の都にもどられた中将姫は、菩提(ぼだい)の志(こころざし)やみがたくついに当麻寺(たいまでら)に入り出家剃髪(しゅっけていはつ)の身となり、法如尼 を名のりました。
●開山堂                     ●阿弥陀堂
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当麻曼陀羅(たいままんだら)を感得し、19歳の夏、再びこの山に登り一宇の堂を建立。自らの像と嘉藤太夫婦の形像を手水(ちょうず)から刻み安置。この堂に、日張山青蓮寺と名づけてながく尼主(にしゅ)の道場としたのです。ー歴史とロマン漂う 宇陀市菟田野区ガイドーより
(中将姫)
なかなかに山のおくこそ 住よけれ草木(くさき)は人のさがを言わねば

●松井嘉藤太春時」と妻「静野」の墓 (鐘楼のよこにあります)
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大宇陀町~菟田野町探訪(06.10.19)⑦⑧日張山・青蓮寺(ひばりやませいれんじ)・・・_a0016431_21396100.jpg「当麻寺」へ入り出家剃髪し、「法如尼」と名乗り、その後「当麻曼陀羅」を感得した中将姫は27才の夏に、再び「日張山」へ登って、一宇の堂を建立し、自からの影像と嘉藤太(かとうた)夫妻の形像を手づから刻み安置して、ひばり山「青蓮寺」と名付、永く尼主の道場とされた、由緒ある山寺です。
ー奈良観光より抜粋ー
※山門横には、謡曲史跡保存会の名で、案内板があり、青蓮寺は謡曲「雲雀山」の舞台で、山号になっている日張山は、古来狩場として知られていた。とあった。
by barakan1 | 2006-10-26 21:48 | 旅日記
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