天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪⑨楢神社・・・終

●楢神社社叢と上ツ道
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この楢神社は、上ツ道(上津道、上街道)と呼ばれる道沿いにあり、奈良市内の元興寺(がんごうじ)の南から、櫟本(いちのもと)~丹波市(たんばいち)~柳本(やなぎもと)~三輪(みわ)~桜井(さくらい)方面へと走る古道になっています。 この上つ道・・・平安時代 貴族たちの春日詣でなどにも使われたとか。また時代が代わると・・・初瀬詣、伊勢詣などにも、利用された道となっていきます。

■楢神社(なら) 式内社 天理市楢町
●神社正面
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天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪⑨楢神社・・・終_a0016431_146532.jpg祭神
五十狹芹彦命(いそさせりひこのみこと)(別名を吉備津彦命)、
鬼子母神
摂社 稲荷神社「寅太丸大明神」
鎮座は神護景雲元年(767年)
由緒
神社は元禄年間には約1km東の宮山(東大寺山)に鎮座していた。氏子地域と離れているので、現社地に遷座した。 『延喜式神名帳』記載の添上郡の奈良豆比古神社の論社とする説もある。

●拝殿
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●「寅太丸大明神、
天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪⑨楢神社・・・終_a0016431_14111990.jpg本地を訶梨帝母(鬼子母神)とし、子授け、長寿招福の神として崇敬されている。
鬼子母神は、当社の古版木に「往古、加賀国白山の嶺に現れ給ひて、御神諱を石川比売命と号し奉る。御本地は訶梨帝母に在し、此神慈照方便深くして抜苦与薬の御神なり。御神誓空しからず和光同塵の眼を開き給い小児を愛し万民撫育し給うこと世の人の知る処なり」とある。更に、「白山から天真榊に乗って当地に影向あらせられた」とある。
●神社境内
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●本殿
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「ナラ」と言う地名は国、緩やかな傾斜地、宮殿、王などの意味があり、これは緩やかな傾斜地に帝都ができたので、帝都をナラとよんだと言う。『地名の古代史:近畿篇』谷川健一、金達寿 河出書房新社 から。
天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪⑨楢神社・・・終_a0016431_14193248.jpg鬼子母神社 櫟本町の東北に高塚公園があり、その西端に鎮座。 鬼子母神は「神」がつくので,神社とされるが、もともとはハーリティ(訶梨帝母)で,仏教に帰依しており、普通はお寺で祀られるもの。
ー神南備にようこそー
●井戸水は子授けの霊水。八代目市川団十郎奉納の井筒があるそうだ。
※社域は小さいですが、綺麗に管理されています。社殿は改装されて間が無いのか、朱の色が映えています。鬼子母神、鬼子母神社は初めてです。何故この地!?なのかよくわかりません・・・・。今回でこの編は終了です。
by barakan1 | 2006-09-23 14:32 | 旅日記
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