天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪④姫丸稲荷神社・・・

■平尾山姫丸稲荷神社 (石上廣高宮伝承地)
a0016431_15351020.jpg
石上市神社から東に700メートルほど。旧社地といわれる平尾山です。
石上の集落を見おろす場所に位置します。
●平尾山への道
a0016431_15364575.jpg
石上市神社から東へ行って、直ぐの国道169号線を渡り尚も東へ、高い木の下に地蔵さんの祠がある。その前を東に平尾山の中へ入ると、左手に古びた朱色の鳥居がずらりと並び奧に「平尾山稲荷神社」が鎮座しています。
●神社正面より
a0016431_1644675.jpg

a0016431_1545925.jpg

平尾山は旧地名を「宮の屋敷」と云って、日本書紀に書かれた第24代仁賢天皇の石上(いそのかみ)廣高ノ宮や、天皇の父の市辺押磐皇子の石上市辺ノ宮があった所と考証され、



●二の鳥居・参道
a0016431_15472448.jpg
また、第61代醍醐天皇の時に編纂された延喜式に記される「石上市神社」は、ここにあった宮ですが、神社は江戸時代の中頃、石上村の鎮守として移され、跡に今の平尾姫丸稲荷大明神が残りました。
●拝殿・鳥居参道
a0016431_154933100.jpg
●本殿
a0016431_15504749.jpg
※市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)
5世紀の中頃、安康(あんこう)天皇が皇子である市辺皇子に皇位を譲ろうとしましたが、従兄弟の大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)(のちの雄略(ゆうりゃく)天皇)が自ら皇位につこうとして、この地の狩りに皇子を誘い出したといいます。そして大泊瀬皇子は、猪と見間違ったふりをして皇子を射殺してしまったといわれます。
※仁賢天皇
履中天皇の孫、市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の子。
母ははえ媛(はえひめ、葛城蟻臣の女)。顕宗天皇の同母兄。
●御神水(井戸)
a0016431_15525631.jpg
●摂社・末社群
a0016431_15155646.jpg
※余り知れれていない神社ですが、訪ねてみて驚きました。竹薮が深く、薄暗いのですが、風格があるというか、らしい!というか、神社の鎮座地としてはさもありなん!という感じです。かなり重々しく感じました。特に鳥居の横の摂社・末社が立ち並んでいるあたりは長く居れない様な緊張感を感じました。薮蚊の猛襲には往生しましたが・・・!!その為か、ここより少し先にある、銅鐸出土地を訪ねるのを忘れてしまいました。
by barakan1 | 2006-09-17 16:14 | 旅日記
<< 天理市・櫟本(北山之辺の道含む... 天理市・櫟本(北山之辺の道含む... >>