天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪②在原神社・・・

■在原神社(在原寺跡) 天理市櫟本町3916
●169号線より。西名阪沿いなので車の騒音が激しく、静寂な環境とは言い難い。
天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪②在原神社・・・_a0016431_2017039.jpg
祭神
阿保親王 合祀 在原業平
●神社入口(石碑は在原寺となっています。裏に在原神社とあります)
天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪②在原神社・・・_a0016431_2018249.jpg
由緒
在原寺の鎮守社であった。業平社とも称していた。在原寺は平安時代の始めの平城天皇の御子阿保親王が承和二年(835)に創建されたという説と、寛文寺社記の元慶四年(880)創建とがある。 平安時代の始め9世紀からここに在原寺があったことを物語っている。
明治初年まで本堂、庫裡、楼門などがあったが、本堂は大和郡山市若槻の西融寺に移されて、廃寺となった。
社殿は一間社、寄母屋造り、正面千鳥破風及び一間向拝付きと云う変わったものです。
●神社境内
天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪②在原神社・・・_a0016431_20185976.jpg
在原業平の生まれたところといわれています。
ここから八尾市の高安に住む河内姫に会いに毎夜出かけたとされています。
●本殿
天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪②在原神社・・・_a0016431_20204676.jpg


◆伊勢物語第二三段「筒井筒」、謡曲「井筒」にも登場。
天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪②在原神社・・・_a0016431_20213294.jpg
幼い頃に井戸の水 面に並んで姿を映して遊び戯れた二人が、長じてからは恋仲になり、
在原業平
筒井筒 井筒にかけしまろが丈 生(おい)にけらしな 妹見ざる間に
有常の娘
比べこし 振分髪も肩過ぎぬ 君ならずして 誰か上(あ)ぐべき
と、互いに歌を詠み交わして夫婦となったのです。
しかし、やがて業平に高安に女性が出来て通い始めます。妻は嫌な顔をするどころか、夜中に寂しい山道を一人歩きする夫を心配するばかり。
有常の娘
風吹けば 奥津(おきつ)白波龍田山 夜半(よは)にや 君が一人行くらん
●夫婦竹               ●一業(むら)すすき
天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪②在原神社・・・_a0016431_20241674.jpg
それを知った主人公は浮気を一度はやめるものの…とそんな物語です。
※井筒とは昔の井戸にあった地上部分の囲い。今も境内には「筒井筒」が残っています。河内高安、現在の十三峠西麓にも同様の話が伝わているそうです。

天理市・櫟本(北山之辺の道含む)(06.09.14)探訪②在原神社・・・_a0016431_20261080.jpg
□紀 有常  

紀 静子(文徳天皇の側室。惟喬親王の生母)の兄。815年~877年。 
業平とは長年にわたる友人関係。

(古今和歌集)
惟喬(これたか)の親王(みこ)の供に狩にまかりける時に、あまの河といふ所の河のほとりにおりゐて酒などのみけるついでに、親王(みこ)のいひけらく、「狩して天の河原にいたるといふ心をよみて盃(さかづき)はさせ」といひければよめる

在原業平
狩りくらし七夕つめに宿からむあまのかはらに我はきにけり
紀 有常
ひととせにひとたびきます君まてば宿かす人もあらじとぞ思ふ
※昔の人は優雅な生活をされていたのですね~。交通の手段や、通信手段が今とはまったく違いますから・・・。果たして今のように唯早いだけが幸せなのか、豊かなのか??ですね! 確かに、便利には違いありませんが、何かしっくりしない思いがします。スローライフというのが流行っているそうですが、私達はもうすこし精神的なスピードを遅らせる事が必要かも知れませんね!!
by barakan1 | 2006-09-15 20:44 | 旅日記
<< 天理市・櫟本(北山之辺の道含む... 天理市・櫟本(北山之辺の道含む... >>