飛鳥・稲渕の棚田探訪(06.07.26)②稲渕宮殿跡・・・

■稲渕宮殿跡
萌えるような緑に覆われた石舞台を横切り、明日香川に架かる玉藻橋を渡って、飛鳥稲渕宮跡にでる。
●玉藻橋を渡って、飛鳥稲渕宮跡への道(沢山のトンボがいました)
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●稲渕宮殿跡
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稲渕宮殿跡は、1977年の発掘調査で4棟のコの字型の建物跡と、それに囲まれた石敷きの広場が確認されています。前後(南北)に並ぶ2棟の主殿を中心にして、東西に棟を揃えた2棟の脇殿を配置しています。正殿は4面に庇を持っており、推定規模で正面24.6m奥行き10.2mになります。中庭には大型の敷石を敷きつめるなど、一般の施設ではない様相を示しています。
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飛鳥河辺行宮跡であろうと推定されていますが、確定されているわけではありません。
●稲渕宮殿跡(北→南、西→東、東→西)
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日本書紀の孝徳天皇 白雉4年の条には、
大化改新の後、難波長柄豊碕宮に遷都した孝徳天皇に対して、皇太子中大兄皇子が「倭の京」に移りたいと奏上したが許されず、皇祖母尊(皇極天皇)や皇后(間人皇女)、そして、皇弟(大海人皇子)らと共に、倭飛鳥河辺行宮に入った。公卿大夫や百官の人々も太子に従って倭に移った。(要するに、孝徳天皇が長柄豊碕宮に独り、置いてけぼりをくったと言うあの事件です)とあります。
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行宮は仮の宮であって、皇極天皇が斉明天皇として、飛鳥板蓋宮で重祚するまでの1年余の間存在したものと思われます。 ー飛鳥三昧ーより
●稲渕宮殿跡前の明日香川
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巻7-1366
明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ

巻11-2701
明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも

石橋(いわはし/いしばし)は、川を渡るために浅瀬に石を並べたものです。石並(いしなみ)ともいいます。
by barakan1 | 2006-07-27 14:23 | 旅日記
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