山背古道(上狛~玉水)探訪(06.04.25)⑧蟹満寺-1・・・

■蟹満寺   京都府相楽郡山城町大字綺田小字浜36番地
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普門山《ふもんざん》と号し、かつては紙幡(かみはた)寺、加波多(かばた)寺とも記され、白鳳時代末期(680年前後)に秦氏の一族秦和賀によって建立され、後に行基菩薩の関与により民衆のあつい信仰を集めた。
●蟹満寺正面
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●本堂
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『今昔物語集』に出てくる"蟹の恩返し"の縁起と日本を代表する銅製の国宝釈迦如来坐像で有名な寺です。古代にさかのぼると蟹満寺の寺域は広大で、200メートル四方におよんでいたと推測されており、境内で発見された瓦積基壇建物跡はかつての金堂跡と考えられています。
●観音堂
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山背古道(上狛~玉水)探訪(06.04.25)⑧蟹満寺-1・・・_a0016431_9241322.jpg●釈迦如来坐像【しゃかにょらいざぞう】
白鳳期の作で国宝に指定されており、高さ262センチメートル、重さ7トンの銅像です。寺の本尊であり、螺髪と白毫がなく、曼網相という手の指の間に水掻きのようなものがあるのが大きな特徴となっています。ーやましろ観光マップーより
※この釈迦如来像の元出所については多くの異論があり、葛城王(後の橘諸兄)が氏寺として創建した円堤寺(井堤寺)と関わりがあるのではか・・・。最近の調査では像座位置は創建以来動いていないとの調査結果もある!!
■■橘諸兄は
父:美努王(みぬのおおきみ)=敏達天皇の孫または曾孫 という栗隈王の子
母:県犬養橘三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)(橘三千代)
葛城王(後の橘諸兄)は斑田使を命ぜられ天平元年に蟹幡郷(かんばたごう)(山城町大字綺田(かばた)付近)で班田教務に携わりましたが、天平元年の班田の時に、
使いの葛城王、山背国より薩妙觀(さつめうくわむ)の命婦等が所に贈りたまへる歌一首
芹子(セリ)ノ髱(ツト)ニ副ヘタリ
巻20-4455 
あかねさす昼は田賜(た)びてぬば玉の夜のいとまに摘める芹これ
薩妙觀の命婦が報贈(こた)ふる歌一首
巻20-4456 
大夫と思へるものを大刀佩きて可尓波(かには)の田居に芹そ摘みける
・・・橘諸兄は蟹幡郷(かんばたごう)を勢力圏にしていたので、後の恭仁京造営の発議に大きく関わったと思われるが、今は氏寺として井堤寺跡の石標があるばかりです・・・
by barakan1 | 2006-05-02 09:43 | 旅日記
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