天智天皇陵&楽浪の志賀・大津京の古墳・古社寺探訪(05.12.16)②天智天皇陵 「挽歌」・・・

■天智天皇(陵)
第38代天皇 在位(668-671)。父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇。名は葛城(カツラギ)・中大兄。諡名(贈り名)は天命開別天皇(アメミコトヒラカスワケノスメラミコト)。
藤原鎌足と共に大化改新において蘇我入鹿を暗殺した。政変後即位した孝徳天皇、斉明天皇のそれぞれ皇太子となり、国政に関わった。660年、母斉明天皇の死に伴い、称制(「制を称す」の意で、天皇に代わって臨時に国政を決済する事)し、668年、正式に即位し、都を大和国飛鳥(奈良県)の地から、近江国大津(滋賀県)に遷し、近江令の制定等をした。改革推進に当たり反対派の古人大兄皇子・有馬皇子らを殺害する。 弟の大海人皇子(天武天皇)を政権から除外し子の大友皇子 を太政大臣とするが、大海人皇子は吉野に隠棲し難を逃れ、 天智死後大友皇子を排除する(壬申の乱)
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天皇の聖躬不豫(おほみやまひ)せす時、大后(おほきさき)の奉れる御歌一首
巻2-0147 
天の原振り放け見れば大王(おほきみ)の御寿(みいのち)は長く天足(あまた)らしたり
    一書ニ曰ク、近江天皇ノ聖体不豫ニシテ、御病
    急(ニハカ)ナル時、大后ノ奉献レル御歌一首ナリト。
●御陵入口日時計、制札
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天皇の崩御(かむあがりま)せる時、〔倭〕大后のよみませる御歌二首
巻2-0148 
青旗の木旗(こはた)の上を通ふとは目には見ゆれど直(ただ)に逢はぬかも
巻2-0149 
人はよし思ひ止(や)むとも玉蘰(たまかづら)影に見えつつ忘らえぬかも
●御陵参道
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天皇の崩(かむあがりま)せる時、婦人(をみな)がよめる歌一首 姓氏ハ詳ラカナラズ
巻2-0150 
うつせみし 神に勝(た)へねば 離(さか)り居て 朝嘆く君
放(はな)れ居て 吾(あ)が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて
衣ならば 脱く時もなく 吾(あ)が恋ひむ 君そ昨夜(きそ)の夜(よ) 
夢(いめ)に見えつる
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天皇の大殯(おほあらき)の時の歌四首
額田王
巻2-0151 
かからむと予(かね)て知りせば大御船泊てし泊に標(しめ)結はましを 
舎人吉年
巻2-0152 
やすみしし我ご大王の大御船待ちか恋ふらむ志賀の辛崎 
●天智天皇陵
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大后の御歌一首
巻2-0153 
鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)の海を
沖放(さ)けて 榜ぎ来る船 辺(へ)付きて 榜ぎ来る船
沖つ櫂 いたくな撥(は)ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ
若草の 夫(つま)の命(みこと)の 思ふ鳥立つ
石川夫人(いしかはのおほとじ)が歌一首
巻2-0154 
楽浪(ささなみ)の大山守は誰が為か山に標結ふ君も在(ま)さなくに

天智天皇陵&楽浪の志賀・大津京の古墳・古社寺探訪(05.12.16)②天智天皇陵 「挽歌」・・・ _a0016431_140502.jpg山科の御陵(みささぎ)より退散(あが)れる時、額田王のよみたまへる歌一首
巻2-0155 
やすみしし 我ご大王の 畏きや 御陵(みはか)仕ふる
山科の 鏡の山に 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと
昼はも 日のことごと 哭(ね)のみを 泣きつつありてや
ももしきの 大宮人は 去(ゆ)き別れなむ

※山科は京都の住宅街として、今は住宅がビッシリ建て込んでいます。御陵も遠望は出来ず、まじかで見るだけです。その為か、奈良あたりの御陵と感じが違います。奈良の方は昔から連綿と続いているのだなぁという実感がありますが・・・。ここではそんな感じはありませんでした。
結構昔から開けた場所だったからでしょうが!!(中へ入ってしまえば、そうでもありませんが・・・)
by barakan1 | 2005-12-17 14:27 | 旅日記
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