●黒崎あたり
春日神社より少し東、白山神社の近くの脇本遺跡から、雄略天皇の時代に近い6世紀前半の土器と石積み溝が、昭和56年に出土しました。(雄略天皇が宋に遣使したのが西暦478年と推定されています)さらに昭和59年の発掘調査でも12個の柱穴が発掘され、初瀬朝倉宮跡かと話題になったそうです。発掘現場は現在は埋めもどされています。
■白山神社 (白山比口羊(しろやまひめ)神社)
●伊勢街道と参道入口付近
雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地(歴史街道案内板 桜井市教育委員会) 桜井市黒崎の「天の森」が、朝倉宮の地であろうとの説は、「大和志」や「日本書紀通証」などで、述べられているが、立地的に見て、宮を営むのに適地ではない。
●拝殿
●本殿
保田與重郎氏は、この白山神社付近をその候補地とし、雄略天皇の歌で始まる「万葉集」の発祥の地して、神社境内に記念碑を建立したものである。
●歌碑
雄略天皇
万葉集 巻1-0001
籠(こ)もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち
この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね
そらみつ 大和の国は おしなべて
吾こそませ 吾こそは 告らめ 家をも名をも
■泊瀬朝倉宮伝承地
●付近全景
●木製の伝承碑
※なかなか見つけにくい場所にありますが、木製の碑までの笹薮を綺麗に刈り込み、道がつけてありました。本当に助かりました。キッと地元の方で熱心な方がいらっしゃるのでしょう。そんな方々の、不断の努力で遺跡や、伝承が守られてきたのでしょうね!!