大和神社~大和萱生・柳本古墳探訪(05.11.01)③馬口山、フサギ塚、下池山、西殿塚古墳・・・

●下池より大和平野を(西)望む
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■馬口山古墳
■所在地;天理市兵庫町馬口山
■規模;全長110m、後円部径62m、前方部幅52m
■築造時期;古墳時代中期
現在、南と東南部に鳥居池があり、これを周濠と見ると、西北辺に残る地割痕跡 などから、周濠の存在が考えられる。
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■フサギ塚古墳
■所在地;天理市成願寺町フサギ塚
■規模;全長110m
■築造時期;古墳時代
大和神社の参道から250メートルで 東へ民家の間を抜けるとすぐ。
刀剣類が出土したと伝えられている。
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■下池山古墳
■天理市成願寺町下池山
■全長120m、後方部は南北65m、東西55m、高さ9m、前方部は幅25m、
長さ50m、高さ4m
■築造時期;古墳時代前期
遺物 たびたび盗掘にあっているが、鉄製のヤスや槍のほか、 副葬品として、勾玉や碧玉の石釧(いしくしろ)が出土した。 また石室とは別に作られた小石室から巾着型の鏡袋と漆塗の箱に収められた 大型内行花文鏡が出土した。
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■??古墳(名称未確認)
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■西殿塚古墳 (手白香皇女衾田陵)
■所在地;天理市中山町西殿塚
■規模;全長219m、後円部径135m、前方部幅118m
■築造時期;古墳時代前期
萱生古墳群で最大、全長220メートルの前方後円墳だが、周濠がないこと、前方部が 後円部に比べて低く、先端が三味線のバチ形に開いていることなど、箸墓古墳に似ている。 墳丘は3段築成で、後円部、前方部ともに上段の平坦面に方形の壇がある(箸墓は丸い壇)。
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※この古墳は、第二十六代継体天皇の皇后であった手白香皇女の墓とされています。手白香皇女は仁賢天皇皇女で、母は雄略天皇皇女の春日大娘皇女。継体天皇は、この皇女を皇后とすることによって、仁徳天皇の系統に結びつこうとしたという説もあります。手白香皇女の墓との伝承は、古墳の造営時代が大きく異なりこの伝承が誤りであることは明らかです。(継体天皇は6世紀でこの古墳は4世紀初頭ですから200年ほど開きがあります。このあたりで時代の一致する古墳を探すと、西山塚古墳しかありません。)
●手白香皇女衾田陵、横の衾道、奥の山は引手の山
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柿本朝臣人麿 巻2-0210
うつせみと 思ひし時に たづさへて 吾(あ)が二人見し
走出(わしりで)の 堤に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝(え)の
春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど
頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背きしえねば
蜻火(かぎろひ)の 燃ゆる荒野に 白布(しろたへ)の 天領巾(あまひれ)隠(かく)り
鳥じもの 朝発(た)ち行(いま)して 入日なす 隠りにしかば
我妹子が 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに
取り与ふ 物しなければ 男(をとこ)じもの 脇ばさみ持ち
我妹子と 二人吾(あ)が寝し 枕付く 妻屋のうちに
昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし
嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ
大鳥(おほとり)の 羽易(はかひ)の山に 吾(あ)が恋ふる 妹はいますと
人の言へば 岩根さくみて なづみ来(こ)し よけくもぞなき
うつせみと 思ひし妹が 玉蜻(かぎろひ)の 髣髴(ほのか)にだにも 見えぬ思へば
巻2-0212 
衾道(ふすまぢ)を引手(ひきて)の山に妹を置きて山道を往けば生けるともなし

by barakan1 | 2005-11-03 23:48 | 旅日記
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