真菅~曽我雲梯(うなて)(05.10.16)③宗我座宗我都比古神社~金橋神社・・・

真菅~曽我雲梯(うなて)(05.10.16)③宗我座宗我都比古神社~金橋神社・・・_a0016431_12132946.jpg●曽我川中曾司町より畝傍山を見る。
磐余橋から曽我川を遡り、近鉄のガードをくぐり、左へ折れ、中曾司町を路なりに、真菅駅方向に行くと、右手に小さな社叢が見えるそれが宗我座宗我都比古神社です。

■宗我座宗我都比古神社(そがにいますそがつひこじんじゃ) (入鹿宮)
祭神 宗我都比古神、宗我都比賣神
由緒 『大和志』に、「曽我村の北に在り。今(享保年間)入鹿宮と称する。」とある。 二体の木像神像を御神体としている。 創祀については『五郡神社記』には、「推古天皇の御代に蘇我馬子が武内宿禰と石川宿禰を祀って神殿を蘇我村に造営した。」と記している。また社伝では「持統天皇が蘇我一門の滅亡をあわれんで、蘇我倉山田石川麻呂の次男、徳永内供に紀氏を継がしめ、内供の子永末に祖神を奉斎するため土地を賜い、社務と耕作を行わせたのに始まるとし、
祭神を蘇我氏の遠祖、彦太忍信命と石川宿禰の二神とする。
●正面鳥居
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●拝殿
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●本殿
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蘇我川には今でも菅は見られる。菅は神餞を供する敷物などの祭祀に使われた材料で尊ばれたものであり、すがすがしいの語源となった。-神南備にようこそー

真菅~曽我雲梯(うなて)(05.10.16)③宗我座宗我都比古神社~金橋神社・・・_a0016431_1217658.jpg●曲川町より西を見る。
入鹿宮より再び曽我川にもどり、少し遡ると曲川大橋に出る。渡ると曲川町である。

■金橋神社(勾金橋宮跡・まがりのかなはしぐうあと)
安閑天皇(西暦四六六-五三五)は継体天皇の第一皇子で勾大兄廣國押武金日天皇(まかりのおほえひろくにおしたけかなひのすめらみこと)の名で親しまれ西暦五三四年春正月に第二十七代天皇として勾金橋宮で即位された。都を大和國盤余(いはれ)の玉穂宮から勾金橋宮の地(橿原市曲川町)に遷されたのは今から千四百五十余年前のことで寛大にして仁恵の深い天皇は此の地で善政を敷かれた。
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●金橋神社
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この由緒ある勾金橋宮跡に安閑天皇の遺徳を偲び、その神霊を祀って創建されたのが権現社である。権現社建立時期は定かではないが明治維新に金橋神社を改稱され人里に接した社地は竹林と生け垣で隔てられ社殿の周囲には古木が聳え立ち千古の霊蹟を今日に伝えている。大正四年十一月に奈良県教育委員会より建設された安閑天皇勾金橋宮跡の記念碑も境内に保存されている。 平成元年11月12日 橿原市曲川町
●拝殿
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●本殿
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■八幡神社 
金橋神社のすぐ隣の杜にある神社。八幡社は村の鎮守さまであろうが余程こちらの方が立派な境内であり、社殿であった。 由緒:不明
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by barakan1 | 2005-10-19 12:51 | 旅日記
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