天橋立~和田山・竹田城跡探訪(2015-07-26~27)・・・③

元伊勢 籠(この)神社     京都府宮津市字大垣430
籠神社(このじんじゃ)は、京都府・宮津市にある神社。『延喜式神名帳』にある「篭神社(丹後国・与謝郡)」に比定される式内社(名神大社)。丹後国一宮で、近代社格は国弊中社、現在は神社本庁の別表神社。
●一の鳥居(入口)
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元伊勢の一社であり、「元伊勢籠神社」とも称する。国宝『籠名神社祝部氏係図』『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』、いわゆる「海部氏系図」で有名であり、現在まで海部氏が神職を担当している。
★主祭神は 彦火明命(ひこほあかりのみこと)。
天火明命(アメノホアカリ)、天照御魂神、天照国照彦火明命、饒速日命(ニギハヤヒ)というとする。海部氏の祖神。アメノホアカリは、ニニギの兄であり、やはり  同じく天孫。ただし、古事記では尾張国造の祖とある。
●参道(荷の鳥居は)
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★相殿神は、豊受大神(とようけのおおかみ=トヨウケビメノカミ)、天照大神(あまてらすおおかみ=アマテラス)、 海  神(わたつみのかみ=ワタツミ三神<ソコツワタツミノカミ、ナカツワタツミノカ        ミ、ウハツワタツミノカミ>、海部氏の氏神)、天水分神(あめのみくまりのかみ=アメノミクマリノカミ)。
●手水舎                 ●由緒書
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社伝によれば、豊受大神は、神代は「真名井原」の地(現在の奥宮・真名井神社)に鎮座したという。その地は「匏宮(よさのみや、与佐宮・吉佐宮・与謝宮)」と呼ばれ、天照大神が4年間営んだ元伊勢の「吉佐宮」にあたるという。
●二の鳥居・拝殿
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白鳳11年(671年)彦火明命から26代目の海部伍佰道(いほじ)が、祭神が籠に乗って雪の中に現れたという伝承に基づいて社名を「籠宮(このみや)」と改め、彦火火出見尊(オホリ=山幸彦)を祀ったという。
●鳥居前 重文狛犬
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養老3年(719年)、真名井原から現在地に遷座し、27代海部愛志(えし)が主祭神を海部氏祖の彦火明命に改め、豊受・天照両神を相殿に祀り天水分神も合わせ祀ったと伝える。 ーぶっちゃけ古事記ーより
●社殿正面より
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由緒
 崇神天皇の時代、天照大神が笠縫邑(かさぬいむら)という場所から与佐宮(よさのみや)に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。その4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ追ったため、当社を「元伊勢」というようになったという。そして、養老3年(719年)、真名井原から現在地に遷座して主祭神を彦火明命とし、豊受・天照両神を相殿に祀り、社名を籠宮に改めたことに今の当社が始まる。そして、真名井原の元の鎮座地は摂社・奥宮真名井神社とされ、後に海神・天水分神が配祀されたという。また、御祭神が籠に乗って雪の中に現れたことから「籠宮」という社名になったという伝承がある。
※※籠神社の社家となる海部(あまべ)氏の系図は日本最古の系図として国宝に指定されている。また、この他にも、最古の伝世鏡など、貴重な社宝を多く収蔵していることでも有名。 ー神社人ーより抜粋
●拝殿・本殿全景
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※※丹後国分寺より東に少し走ったところに鎮座。到着が16時半。駐車場閉門が17時という事で見学と写真撮影に走り回り、ほんの触りだけのお参りとなりました。(いつか、真名井神社は是非お参りしたいです)。その後、急いで夕日が浦に向かい、約束の18時夕食に何とか間に合いました。★写真クリックで大きくなります(^_^)v
by barakan1 | 2015-07-30 21:13 | 神社仏閣探訪
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