三宅・百済野コース探訪(05.07.024)②多坐弥志理都比古神社~小杜神社~屋就神社・・・

●新木辺りの太子道より二上山方向遠望
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●農振橋あたりから西(二上山)方向を望む(手前飛鳥川)
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●案内板
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●農振橋あたりの飛鳥川
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■「多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社」
祭神は、神武天皇、神八井耳命、神沼河耳命、姫御神、太安万侶です。社伝によると、神武天皇の皇子・神八井耳命がこの里に来られて「我、天神地祗を祀る」と言われた由緒をもち、平安時代の「延喜式」にも名が見え、大和でも屈指の大社です。
●正面・鳥居
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●拝殿
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神八井耳命を始祖とする多氏によって祀られ、中世には国民である十市氏に崇敬され、県指定文化財の本殿は、東西に一間社の春日造が並び、四殿を配祀の形式で、江戸時代中頃の建築様式を残しています。ー奈良観光よりー
●本殿
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●本殿内
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●小杜神社裏より東(三輪山)方向を望む
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■太安万侶を祀る「小杜(こもり)神社」
「多(おお)神社」の南に、「古事記」の選録にあたった「太安万侶(おおノやすまろ)」を祀っている「小杜神社」が鎮座しています。太安万侶は、多臣蒋敷の孫で、古くは方六町を占め、四方に鳥居のあった「多神社」が鎮座している地域は、古代の豪族である多(おお)氏の本拠地だったと言われ、多氏の始祖が初代神武天皇の皇子・神八井耳命(かむやいみみノみこと)です。ー奈良観光よりー
●小杜神社
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■摂社「皇子神命神社」
「小杜神社」の西南で、鬱蒼とした森の脇に「多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社」の摂社で、旧村社の「皇子神命(みこノかみノみこと)神社」が鎮座しています。祭神は、皇子神命(みこノかみノみこと)です。なお、「延喜式」神名帳で十市(といち)郡(ごおり)大社(おおしゃ)の四皇子神の1つ「皇子神命神社」に比定され、俗に「若宮」と称されています。また、「五郡神社記」では、本社の二座と四皇子神を総称して「意富六所神社」と称し、「皇子神命神社」は、本社(多神社)のちょっと東に鎮座する「姫皇子命(ひめみこノみこと)神社」と伴に本社四殿の右殿(神沼河耳命)に祀られています。ー奈良観光よりー
●皇子神命神社
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●多神社側を流れる飛鳥川
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■屋就神神社
祭神  屋就神命 天明豊玉命
由緒 多坐弥志理都比古神社の摂社の扱いで、皇子神。 もと八剣神社と言う。
●屋就神神社の杜・鳥居・祠
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●屋就神神社正面(南から北)方向に見る
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●神社前から東(飛鳥)方向を望む
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聖徳太子が斑鳩の宮造営の際、まず飛鳥から一の矢を射ると、この森に落ち、近すぎるとして更に二の矢、三の矢を射継いで、落下点に斑鳩の宮を造ったとの説話がある。
by barakan1 | 2005-07-26 16:43 | 旅日記
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