明日香探訪(2015-01-24)④大原神社~藤原夫人の墓・・・

大原の里
藤原夫人の墓前より、藤原氏の拠点、大原の里を見る。後方は多武峰である。
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小原の交差点と万葉文化館の間に立っている万葉歌碑
万葉集 巻04-0513   志貴皇子
大原の このいち柴(しば)の いつしかと 我(あ)が思ふ妹に 今夜(こよひ)逢えるかも
※大原のこの茂りに茂ったいち柴ではないが、いつ逢えるか何とか早くと思いつづけていたあなたに、今夜という今夜はとうとう逢うことができました。
巻11-2587
大原の 古りにし里に 妹を置きて 我れ寐ねかねつ 夢に見えこそ  

大原神社   奈良県高市郡明日香村小原134
祭神  品陀別命、大織冠鎌足
由緒
藤原鎌足は、「大織冠伝」(760年頃成立)によると、推古天皇二十二年 614年)、大倭国高市郡の人として、藤原の第(邸宅)に生まれたと記されている。藤原は、現在のここ明日香村小原の地である。
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 鎌足は、中大兄皇子(後の天智天皇)を助けて、「大化の改新」を推進する偉業を成し遂げた。669年、臨終の床で、天智天皇から、最高位の「大織冠」の冠位を与えられ、その後、千年以上も続く藤原氏の祖となった。(社頭掲示)
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お姿  神社すぐ右手の田圃には、明治初年まで、「藤原寺」(鎌足誕生堂)が建っていて、江戸時代後期に、国学者の本居宣長も訪れている。飛鳥坐神社より通じるこの道は、ここから東へ上がること約4kmの山頂にある、鎌足を祀る「談山神社」への表参道である。
 ここ大原神社の奧の竹田川のほとりには、「藤原鎌足産湯の井戸」、左手の森には、鎌足の母「大伴夫人」の墓がある。
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 また当神社の正面左手には、天武天皇と鎌足の娘の藤原夫人との間に交わされた、万葉集の歌二首を刻んだ石碑がある。(社頭掲示)
天皇の藤原夫人(ふじはらのきさき)に賜へる御歌(おほみうた)一首
巻02-0103 
我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後(のち)
※わがこの里に雪が降ったぞ。そなたが住む大原の古ぼけた里に降るのは、ずっとのちのことだろう。
藤原夫人の和へ奉れる歌一首
 巻02-0104 
我が岡のおかみに乞ひて降らしめし雪の砕けしそこに散りけむ
※私が住むこの岡の水神に言いつけて降らせた雪の、そのかけらがそちらの里に散ったのでございましょう。
◆「藤原鎌足産井の井戸」跡
大原神社の裏手を流れる竹田川のほとりにあるのですが、以前は竹藪があったのですが、今は切り払われて、スッポンポン。ましてや冬で当たりを草で隠すべくもなく、何だかうら寂しい状態になっていました。
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藤原鎌足の母「大伴夫人の墓」の墓
●夫人の墓                   ●墓より見る大原神社と大原の里
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大原神社のすぐ近くにある「大伴夫人の墓・小原の里」。解説文にはこうあります。「藤原鎌足の母、大伴夫人の墓と伝える。墓は東西約11m、南北約12m、高さ約2.4mの円墳である。また、この辺りは蘇我入鹿を殺し、大化の改新を断行した、中大兄皇子の副審であった中臣鎌子連、すなわち後の藤原鎌足の誕生地とも伝えられている。」-神奈備にようこそ-より
2007年訪問時の大原神社と墓
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by barakan1 | 2015-02-02 15:56 | 万葉故地
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