■雑賀(さひか)の浦
番所(ばんどこ)庭園は、「※番所の鼻」というところにあります。
●番所庭園より南を見る

江戸時代、紀州藩は見張りのため「遠見番所」を設けました。紀州藩は海岸線が長いので、十数ヶ所に番所がありました。ここは和歌山城に最も近い番所として、特に重要な所でした。
●番所庭園より西を見る

その後、遠見番所は鷹の巣山頂(今の雑賀崎灯台のある場所)へ移転したので、ここは「元番所」とも呼ばれました。1853年のペリーの来航を機に、「元番所お台場」が、ここに構築されました。お台場には大砲が据え付けられました。
●番所庭園より北(雑賀の浦)を見る

台場は、元番所以外に、加太から下津町までの海岸線に計41か所築かれました。(その中で唯一、ほぼ完全にその形を残すのが、番所庭園の近くにある「カゴバ台場」遺跡です)※和歌山では海岸より突き出し岬のようになったところを{○○の鼻」と呼ぶようです。
■万葉ゆかりの地
●万葉歌案内板

万葉時代神亀(七二四年)十月に、聖武天皇が大和の都から、お供の公家・宮廷人達と、和歌の浦に行幸されました折、藤原卿がここ番所庭園の北側に広がる海「雑賀の浦」の漁火を見て、詠まれたと言われています。
万葉集
巻07-1194 藤原卿
紀の国の 雑賀(さひか)の浦(うら)に 出(い)で見れば海女(あま)の燈火(ともしび) 波の間(ま)ゆ見ゆ
●万葉歌碑

昭和五二年に、宇治田省三和歌山市長は、犬養 孝大阪大学名誉教授に依頼して、市域を詠んだ万葉歌十首と、その故地十箇所の現地を選んで頂き、そこにその歌板と歌碑を建立されました。犬養先生が、その中の一つに選ばれた「雑賀の浦」の歌板と歌碑は、当園内に今も大切に管理されています。
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