桜井(倉橋~忍坂)~大宇陀の古墳・古社寺探訪⑦栗原寺跡・・・

■栗原寺跡遠景
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■粟原寺(おおばらでら)跡
粟原の集落の傾斜地を南へ上がって行くと、高台に「天満神社」が鎮座し、その裏、南側に「粟原寺跡」があります。江戸中期、談山妙楽寺(今の談山神社)から発見された「粟原寺三重塔露盤の伏鉢」の銘文によると、「粟原寺」は中臣の大島が草壁皇子を偲び創立を誓願したが果たせずに没したので、後に比売朝臣額田(ひめあそんぬかた)が694年(持統天皇8年)から715年(和銅8年)まで22年を要し、この地に伽藍を建て、丈六の釈迦仏像を造り、金堂に安置し、三重塔も建て、草壁皇子と共に発願者の大島の冥福をも合わせて祈りました。-奈良観光よりー
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●春日神社
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この地には、かの有名な女流歌人額田王終焉の地という伝承があります。
天智天皇の子、弓削皇子は壬申の乱後の微妙な立場を生きました。持統天皇の吉野行幸に随行した皇子は、離宮の井戸の上を鳴き渡ってゆくほととぎすをの声に託して密かな懐旧追慕の情を額田王に訴え、これを受けた額田王は「わか心とからだの内外を通り過ぎさった人々の回想追憶の悲しみ」を歌いました。
弓削皇子 巻2-111
古(いにしえ)に恋ふる鳥かもゆずるはの御井の上より鳴き渡りゆく   
額田王 巻2-112
古(いにしえ)に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし吾が恋ふるごと    
by barakan1 | 2005-04-23 17:26 | 旅日記
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