下津町大崎(神の小浜)(2013-05-08)万葉故地②・・・

下津町大崎(神の小浜)
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天平11年(739) 3月28日、従四位下左大弁だった石上乙麻呂が、土佐に配流されるという事件がおきた。乙麻呂は、左大臣石上麻呂の3男という名門の出で、すでに丹波守も経て、若年(30才)ながら太政官の中に位置を占め、才能もあり、性格も温和で、風貌も秀でていた。
理由は、未亡人との恋! 未亡人は、久米若売(わかめ)。2年前に夫をなくして、目下服喪中。若売の前夫は、藤原宇合で、参議、式部卿兼太宰帥、正三位という有名人。宇合との間に、 7才の百川がいる身で、下総に配流になった。若売は、天平12年 6月19日に赦免となり、乙麻呂は、天平13年 9月 8日に赦免・召還となった。
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石上乙麿(いそのかみのおとまろ)の卿の、土佐の国に配(はなた)えし時の歌三首、また短歌
万葉集
巻06-1019
石上(いそのかみ) 布留(ふる)の尊(みこと)は 手弱女(たわやめ)の 惑(さど)ひによりて 馬じもの 縄取り付け 獣(しし)じもの 弓矢囲(かく)みて 大王(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 天ざかる 夷辺(ひなへ)に罷(まか)る 古衣(ふるころも) 真土の山ゆ 帰り来ぬかも
巻06-1020、(巻06-1021)
大王の 命畏み さし並の 国に出でます はしきやし 我が背の君を
かけまくも 忌々(ゆゆ)し畏し 住吉(すみのえ)の 現人神(あらひとかみ) 船の舳(へ)に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々 依りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風に遇はせず 障(つつ)みなく み病あらず 速(すむや)けく 帰したまはね もとの国辺に

     右の二首は、石上の卿の妻(め)がよめる。
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巻06-1022 
父君に 吾(あれ)は愛子(まなご)ぞ 母刀自(おもとじ)に 吾(あれ)は愛子ぞ 参上(まゐのぼ)り 八十氏人(やそうぢひと)の 手向する 畏(かしこ)の坂に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 吾(あれ)はぞ退(まか)る 遠き土佐道を
反し歌一首
巻06-1023 
大崎の神の小浜(をはま)は狭けども百船人(ももふなひと)も過ぐと言はなくに
     右の二首は、石上の卿のよめる。       
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◇天平11年(739)3月、石上乙麻呂が 藤原宇合(うまかい)の未亡人久米若売(わかめ)との恋愛事件で土佐に流されるとき、
●ここ大崎の神の小浜から船出した。
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◆下津町大崎・つり公園入口に、歌碑が立つ。
万葉集
詠人不詳
巻12-3072
大崎の荒磯の渡(わたり)延ふ葛(くず)の行方もなくや恋ひ渡りなむ
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『古義名処考』によると「紀伊国の船、大方この港につく。今も土佐の船の往来に常に泊まる所なり。古も土佐にかよふには、かならず此の大崎を通りしならむ」と記されている。(「下津町万葉歌碑めぐり」より) 現在,道路が整備され大崎に行くには便利になりましたが今から 40 年頃前まで陸の孤島といわれ、通勤や通学のための連絡船(ぽんぽん船)が大崎港から下津港に就航していましたそうです。

◆※平城京から土佐へ流される時、どのようなコースをたどったのでしょうか。藤原京の側を通り、紀ノ川へ出、真土山を通過し、藤白の御坂を超え、橋本から西へ下ったのか?有田の方へ回り込み大崎へ入ったのか?知りませんが・・・。いずれにせよ大変な旅であったろうことは想像出来ます。(車で山越えをするのにも大変な苦労が入りましたから・・)
●こんな山道を歩いて行ったのでしょう!
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※※神の小浜も近代化の波に飲まれています。写真では出来るだけカットしていますが、コンビナートの石油タンクが彼方此方にあります。こんな所までと寂しくなりますが、これも現代の宿命というやつでしょうか!
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by barakan1 | 2013-05-29 15:21 | 旅日記
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