紫香楽宮跡と蒲生野探訪(13.03.07)⑦若宮神社~磐坂市辺押磐皇子墓・・・

若宮神社    滋賀県東近江市市辺町1896
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御祭神
天照皇大神
〔配祀神〕素盞鳴尊 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 少彦名命
●境内社殿
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御由緒
創祀年代不詳。永禄七年神祇管領より若宮大明神の称号を受け、明治九年若宮神社と改称。 明治十四年村社に列し、同四十一年神饌幣帛料供進指定となる。宮座講がある。
●拝殿・本殿
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磐坂市辺押磐皇子墓(履中天皇皇子)  滋賀県八日市市辺町
大泊瀬皇子(雄略天皇)に殺された市辺押磐皇子と帳内佐伯部売輪(とねりさえきべのうるわ)の墓として管理されています。
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磐坂市辺押磐皇子( いわさかいちのべのおしわのみこ )
『当地に所在する古墳二基は、明治八(1875)年教部省によって市辺押磐皇子(磐坂皇子)・帳内佐伯部売輪(とねりさえきべのうるわ/仲子・なかちこ)の墓に治定され、現在は宮内庁書陵部の管理下にある。
東側の古墳は墳丘の直径15メートル・高さ3.5メートル、西側は直径6.5メートル・高さ1.9メートルを測り、ともに横穴式石室を有する円墳で、古墳時代後期に築造されたと推定される。
●陵墓前案内板
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日本書紀によると、安康天皇三(455)年に天皇が暗殺された後に有力皇子たちの抗争が続き、允恭天皇の子大泊瀬皇子は履中天皇の子市辺押磐皇子を近江来田綿(くたわた)の蚊屋野(かやの)に誘い出して殺害し即位する(雄略天皇)、市辺押磐皇子の二遺児億計(おけ/兄)・弘計(をけ/弟)は雄略天皇の追及を逃れて播磨に潜伏するが、やがて都にのぼり顕宗(けんぞう/弟)・仁賢(にんけん/兄)天皇となる、顕宗天皇のとき、狭々城山君倭岱(ささきやまのきみやまとぶくろ)の妹置目(おきめ)の記憶により市辺押磐皇子及び帳内佐伯部売輪(とねりさえきべのうるわ)の遺骨が発見され、この蚊屋野の地に二つの墓が築かれたという。
●墳丘
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これらの記事から、この二つの古墳が磐坂市辺押磐皇子及び帳内佐伯部売輪の墓と安められた。』★(*^_^*)★写真クリック、大きくなります。
by barakan1 | 2013-03-18 14:31 | 旅日記
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