●左の森は南塚古墳 ●国府(こう)八幡神社
●●志紀県主神社
■国府(こう)八幡神社
由緒:不明。社は最近整備され、新しい。
■志紀県主神社
由緒,伝承:「式内社」
神武天皇紀:弟磯城名黒早為磯城県主。古事記:雄略天皇が日下に居る母(長田大郎女)に会いに行き山腹で志幾(しき)大県主の堅魚木が立派過ぎたので怒ったとある。
国府のあった場所であり総社としても機能していたと思われる。
※大化改新(645):以前の地方制度に県(あがた)があり、その首長を県主(あがたぬし)といった。大阪府下では茨木市に三島県主、八尾市に三野県主(みのの)、柏原市に大県主(おおあがた)、藤井寺市に志貴県主(しき)、富田林市に紺口県主(こむく)、和泉の国に茅渟県主(ちぬ)の6首長があった。 古代であそぼよりー
★この辺りには、総社という名や、国府という名も見え、昔々から栄え人が住んで居たようだ。道も入り組んでいて、思うとおり歩けないが、かえって昔の村の風情を少し感ずることが出来た。