■今庄宿 福井県南越前町
今庄宿が形成され始めたのは、中世に入ってからで、江戸時代になると北国街道は幹線道路として往来が頻繁となり、今庄は宿場として完全な形を整えるようになった。
●今庄宿の街並み
今庄宿は南から北に上町・観音町・仲町・古町・新町と西側に西町があって、約1000mにわたって家屋が並んでいた。間口が狭く奥行きの深い、町屋敷特有の短冊型の屋敷地が街道に沿って並んでいた。
宿場の街道は小さな屈曲を繰り返しながら、緩いカーブを描いて通り、古町と新町の間で枡型に屈折し、遠見遮断の道になっていた。
●北陸道(木ノ芽峠越え)の追分け塚に建てられた道標
町並みは切り妻造り、二階建て、中二階建て、平入り、袖壁、格子、大戸があり本卯建の上がった家もある。
ただこの町並みの伝統的な家屋では、屋根の構造が少し変わっていて、屋根を支えている太い梁が軒先まで出ている登梁の構造で、雪の重みに耐えられるように作られていて、力強さを感じる建て方である。
(今庄町教育委員会)
■今庄観音堂 (天童山 円通寺) 福井県南越前町
●参道石段入口に、芭蕉の句が書かれていました
義仲の 寝覚の山か 月かなし
観音堂後方には、築城年代は定かではないが寿永2年(1183年)木曽義仲が平惟盛を迎え撃つ為に仁科守弘に命じて築城したという燧(ひうち)ヶ城があります。
由諸 不明
概要 新羅神社に隣接している観音堂で、流造り、桟瓦葺、桁行4間、梁間3間、 1間向拝付き。
●参道石段から見た今庄宿