福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)③味真野苑・・・

味真野探訪  
味真野苑   福井県越前市余川町
福井・滋賀探訪(2011.06.18~19)③味真野苑・・・_a0016431_11513585.jpg味真野神社の奥は「味真野苑」として整備されており、池水には蓮が生い茂り、万葉館や万葉歌碑(比翼の丘)も建てられています。また、苑内には万葉由来の草木が植えられており、苑内を回遊しながら楽しむことが出来ます。そして、苑後方の倶利古曽山の展望台へ登ると味真野が一望できます。中臣朝臣宅守がここに配流され、都に残された狭野茅上(ちがみ)娘子との幾多の相聞歌を詠すれば、たちまち天平の昔に還ることができます。

◆中臣朝臣宅守と狭野茅上娘子(さののちがみおとめ)の悲しい恋の物語
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中臣朝臣宅守(やかもり)が蔵部(くらべ)の女(め)に娶(あ)ひて、狹野茅上娘子(さぬのちかみをとめ)を娉(よば)へる時、勅(みことのり)して流す罪に断(さだ)めて、越前国(こしのみちのくちのくに)に配(はな)ちたまへり。ここに夫婦(めを)別れ易く会ひ難きを嘆き、各(おのもおのも)慟(かな)しみの情を陳べて、贈り答ふる歌、六十三首
●狭野弟上娘子  万葉歌碑(比翼の丘)
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巻15-3724 
君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも
あなたが行く長い道を手繰り寄せ、折り畳んで一挙に焼きつくしてしまう天の火がほしいものです。
※天平十二年(740)以前、越前国に配流される。罪状は諸説あるが不明。万葉巻十五目録によれば、蔵部の女嬬狭野茅上娘子との重婚罪が原因とも解釈できるが・・・。天平十二年、大赦があり流人は都へ帰ったが、宅守は許されなかった(続紀)。天平十三年九月、前年の恭仁京遷都に伴う大赦で流人は全て赦免され、この時宅守も帰京を許されたと思われる。ー千人万首ー
●中臣朝臣宅守  万葉歌碑(比翼の丘)
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巻15-3727 
塵泥の 数にもあらぬ 我れゆえに 思ひわぶらむ 妹がかなしき
ものの数にも入らない私ゆえに、思いわびているだろうあなたのいとしさよ。
※中臣朝臣宅守と狭野茅上(ちがみ)娘子との相聞歌は万葉集中63首もあり抜きん出ている。

●万葉歌碑(池の畔)
◆狭野弟上娘子
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巻15-3723
あしひきの 山路越えむと する君を 心に持ちて 安けくもなし
巻15-3747
我がやどの 松の葉見つつ 我れ待たむ はや帰りませ 恋ひ死なぬとに
巻15-3751
白たえの 我が下衣失はず 持てれ我が背子 直に逢ふまでに
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巻15-3753
逢はむ日の 形見にせよと たわや女の 思ひ乱れて 縫へる衣そ
巻15-3767
魂は  朝夕に たまふれど 我が胸痛し 恋の繁きに
巻15-3772
帰り来る 人来れりと 言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて
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◆中臣朝臣宅守(池の畔)
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巻15-3728
あをによし 奈良の大路は 行き良けど この山道は 行き悪しかりけり
巻15-3730
畏みと 告らずありしを み越路の 手向けに立ちて 妹が名告りつ
巻15-3733
我妹子が 形見の衣 なかりせば 何物もてか 命 継がまし
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巻15-3734
遠き山 関も越え来ぬ 今更に 逢ふべきよしの なきがさぶしさ
巻15-3764
山川を 中に隔りて 遠くとも 心を近く 思ほせ我妹
巻15-3776
今日もかも 都なりせば 見まく欲り 西の御馬屋の 外に立てらまし
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by barakan1 | 2011-06-27 12:01 | 旅日記
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