愛媛・香川万葉故地ほか探訪(2011.06.04~05)⑨第五十九番札所国分寺~伊予国分寺塔跡・・・

第五十九番札所 金光山最勝院 国分寺  愛媛県今治市国分4-1-33
●国分時入口
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伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
●境内・本堂                       ●鐘楼
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国分寺は天平13年、聖武天皇(在位724?49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如(??862?)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている。
●本堂                          ●大師堂
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その後の伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる。まず、天慶2年(939)の「藤原純友の乱」により灰燼に帰した。次に、元暦元年(1184)源平合戦の戦火による焼失。3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、さらに4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。
● 国分寺に隣接する、春日神社(伊予国分寺の鎮守)
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相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。
●神社拝殿・本殿
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幸い寺には、古瓦をはじめ『国分寺文書』『大般若経』など数多い文化財が保存されている。四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しつのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。ー四国八十八ヶ所霊場会HPーより
●本堂より東を見る(左100メートルあたりに国分寺跡)
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※現在の境内は伊予国府のあった所とされ、かつての境内は東へやや離れた位置にあったとされる。寺の東方100メートルほどのところに塔の礎石が残されており、かつての国分寺東塔跡と認められている。

国分寺塔跡(国指定史跡)
●国分寺から塔跡へ
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奈良時代聖武天皇の勅願によって、桜井国分に伊予の国分寺が建てられたが、国分はその境内の跡で金堂の他七堂伽藍の大きな堂塔が造営されていた。 
●塔跡
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この巨大な花崗岩の13個の塔礎石は、1.5m~2mの自然石で表面に頭大の繰形突起があり、径50cm程度の繰形座の柱受けが刻み出され、天平時代の荒打ちのみのあとも鮮やかで豪壮なものである。 礎石間の間隔は約3.6mで多少傾いたのもあるが整然と並んでいる。
●塔礎石
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調査の結果、いく段にもつきかためた粘土の層の上に置かれた礎石は、創建当時の姿をそのまま残しているといわれている。 この上にあった七重の塔は200尺(約60m)ともいわれ、広大な国分寺の姿をしのぶ重要な遺構である。   大正10年3月3日指定  文部省  史跡・名所の小路  今治市  -史跡「国分寺塔跡」案内板からー
by barakan1 | 2011-06-17 15:38 | 旅日記
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