福岡周辺万葉故地探訪(2011.04.30)⑫蘆城駅家&蘆城野・・

蘆城駅家&蘆城野   筑紫野市阿志岐
●蘆城駅家跡
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昭和53年(1978)、御笠地区の農地改良事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査で、大字吉木の水田下から奈良~平安時代のものと推定される9棟の掘立柱建物跡が発見されました。この建物群は『万葉集』に歌われた蘆城駅家の跡ではないかと推定されました。
●蘆城野より北を見る
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※「駅家」とは、古代律令国家において中央政府と地方の連絡のため、諸道30里(現在の16km)ごとに置かれた駅のことです。駅には馬が備えられ、駅使たちによって利用されました。また、駅の運営にあたらせるため数十戸の農家を「駅戸」として置き、「駅子」が馬の飼養や田の耕作にあたっていました。蘆城駅家は、大宰府から米ノ山峠を越え、田河道の各駅家を経て都へ至る第一番目の駅でした。
●蘆城野真ん中より北を見る(宝満山)
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蘆城野は今の筑紫野市阿志岐の辺りかと思われる。大宰府に近く、駅家が置かれていた。北に宝満山、東に宮地岳を望む風光明媚なところである。
●蘆城野真ん中より東を見る(宮地岳)
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蘆城野の駅家で官人たちが季節の風雅を楽しみ或いは送別の宴が開かれることもあった。天平2(730)年、大宰帥大伴旅人が大納言に任ぜられ大和に上るにあって、官人たちが送別の宴を催したのもこの駅家だった。
ーwww.city.chikushino.fukuoka.jp/ーより引用
◆◆五年戊辰(728年)、大宰小貳石川足人朝臣の遷任するに、筑前国蘆城驛家に餞す 
る歌三首
巻04-549 
天地の神も助けよ草枕旅ゆく君が家に至るまで
04-550 
大船の思いたのみし君が去なば われは恋ひなむ直に逢ふまでに
巻04-551 
大和路の島の浦廻に寄する波間も無けむわが恋ひまくは
●蘆城野万葉歌碑
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◆大宰帥大伴卿、大納言に任けられて京に臨入むとする時に(730年)、府の官人等、卿を筑前国の蘆城驛家に餞す歌四首
巻04-568 
み崎廻(み)の荒磯(ありそ)に寄する五百重(いほへ)波立ちても居ても我が思(も)へる君
  右一首、筑前掾門部連石足
巻04-569 
韓人の衣染むとふ紫の情に染みて思ほゆるかも
巻04-570 
大和へに君が立つ日の近づけば野に立つ鹿も響みてそ鳴く
  右二首、大典麻田連陽春
巻04-571
月夜よし河音清けしいざここに行くも去かぬも遊びて行かむ
  右一首、防人佑大伴四綱
●蘆城野真ん中より南を見る
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◆太宰の諸卿大夫、また官人等が、筑前国蘆城の駅家(うまや)に宴する歌二首
巻08-1530 
女郎花秋萩まじる蘆城野は今日を始めて萬代に見む
巻08-1531 
珠匣(たまくしげ)蘆城の川を今日見ては萬代までに忘らえめやも    
右の二首は、作者詳らかならず
●真ん中より北南を見る
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蘆城は、現在では阿志岐と書き、大字名となっています。大字阿志岐の範囲は、おおむね江戸時代の阿志岐村にあたります。
また、隣接して大字吉木(かつての吉木村)がありますが、『筑前国続風土記拾遺』によると、吉木が阿志岐から分かれたのは、慶長(1596~1615=安土桃山時代)のころであったと記されています。それ以前は、この両者を含めた地域が蘆城といわれた地であったろうと思われます。www.city.chikushino.fukuoka.jp/ーより引用
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by barakan1 | 2011-05-30 14:00 | 旅日記
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