明日香散策 ⑨水落遺跡・飛鳥坐神社・・・

●水落遺跡・飛鳥坐神社・・・
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■史跡「飛鳥水落(みずおち)遺跡」(写真上左)
 第40代天智天皇が、皇太子の時に造っておいた日本で初めての「漏刻(ろうこく、水時計)」を、天皇になって10年目、671年4月25日(新6月10日)設置した跡で、精密に、堅固に築いた建物と、建物内中央に黒漆塗り木製水槽を使った漏刻装置が昭和56年に発掘され、「日本書紀」に書かれた「漏刻」の跡と判りました。当時ここで、時間を管理し、天文、暦、呪いも担当した役所が塀で囲まれた一郭に在り、1階に漏刻装置、2階に都へ時刻を知らせる鐘や太鼓が置かれました。

■式内大社「飛鳥坐(います)神社」(写真上中)
 「飛鳥寺」から東側のバス通りを北へ行って、突き当たり、右(東)へ曲がってまた突き当たった所に、「飛鳥坐神社」の鳥居が見えます。石段を上がると、立派な社殿が建ち、「飛鳥坐神社」が鎮座する鳥形山(とりがたやま)は飛鳥の「神奈備山」と言われて、ご祭神は事代主(ことしろぬし)命、高皇産霊(たかみむすび)命、飛鳥三日比売(あすかみかひめ)命と、大物主命(大国主命の和魂)の4柱です。「延喜式」の出雲国造神賀詞(いずもノくにノみやっこかんよごと)によると、賀夜奈流美(かやなるみ、甘奈備飛鳥三日比売)命を飛鳥の神奈備に祀って皇室の守護神としたと言われ、「日本書紀」にも載っています。

■「飛鳥坐神社」の拝殿(写真上右)
 また、「飛鳥坐神社」の主神、事代主命は、別名を八重事代主、事代大山咋神、叉は俗に恵美須大神とも云われ、大国主命の第一子です。皇祖の天照大御神が皇国の基を定める時、父の大国主命が我が子の事代主命を数多くの神々の先頭に立たせ、皇祖に仕えたならば、国造りに逆らう神はないであろうと、皇室の守護神として、当社にお祀りなられました。なお、境内に本社・中之社を始め、式内社に比定された飛鳥山口坐神社や八幡神社など48の末社、それに拝殿、神楽殿などがあり、また、数多くの陰陽石が祀られていますが、毎年2月の第1日曜日に行われる「御田(おんだ)祭」は、夫婦和合のちょっとエッチなお祭りです。

■藤原鎌足公御母「大伴(おおとも)夫人之墓」(写真下左端)
 「飛鳥坐神社」の石段下、鳥居の斜め前にある井戸は、「飛鳥井」と呼ばれ、「催馬楽(さいばら、中古の初め、すくなくとも859年の貞観元年以前に譜が選定され、宮廷、貴族の宴遊や寺院の法会で歌われていた歌)」に出てくる井戸ですが、その横を通って、東へ400m行くと、藤原鎌足の母、大伴夫人の墓があります。墓は、東西約11m、南北約12m、高さ約2.4mの円墳です。「飛鳥坐神社」の東、ここら辺りは明日香村小原で、元は大原、藤原とも称され、その昔645年蘇我入鹿を殺し、大化改新を断行した中大兄皇子(後の第38代天智天皇)の智臣であった中臣鎌足連、すなわち、後の藤原鎌足の誕生地です。
 
■大織冠誕生之旧跡「大原神社」(写真下右2)
 「大伴夫人の墓」から更に東へ少し行くと、万葉集巻2-103で詠まれた大原に「大原神社」があり、石灯籠の脇に「大織冠誕生之旧跡」と彫られた石柱が建っていますけど、大織冠(だいしょっかん)とは、上代、第36代孝徳天皇の時に定められた冠位の最高位で、後の正一位に相当するが、実際には、669年(天智天皇8年)に藤原鎌足が授けられただけです。よって、「大織冠」とは藤原鎌足の事を指し、ここが鎌足の誕生地と云うことで、石柱の後ろに粗末な木の表示板が建ち「藤原鎌足公、産湯の井戸」と書かれています。「大原神社」の脇を通って、裏の森の中へと下りて行ったら、それらしき石垣の井戸があります。-インターネット奈良観光よりー

★(写真下左2・右端は大原の里風景です)
★万葉集に出てくる人物や地名が目の前に広がっています。特に万葉集2-103の歌は好きなので現地に来れて感激しました。
天武天皇
わが里に大雪降れり大原の古りにし里に落(ふ)らまくは後(のち)   2-103
藤原夫人
わが岡の龗(おかみ)に言ひて落(ふ)らしめし雪の墔(くだ)けし其処に散りけむ
                                 2-104

by barakan1 | 2004-10-16 13:55 | 旅日記
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