■越中国分寺跡 富山県高岡市伏木一宮1丁目1-44
●案内板
二上丘陵北部の東側に広がる二段の段丘のうち、低位段丘の北部に位置する。現在は高野山真言宗国分寺(薬師堂と通称)があり、その境内および周辺が越中国分寺跡と考えられ、一帯は県指定史跡。昭和11、41、61年および平成元年に発掘調査が行われた。
●薬師堂北側より
●薬師堂東側より
ー案内板より ー
薬師堂境内及び付近の国分堂地内から鐙瓦・唐草宇瓦などが出土している。
現在薬師堂の前庭及び側方には、講堂又は金堂の遺構と思われる土壇が約20米現存し堂の前方20米南東に塔の跡と思われる基壇が共同墓地として残り、堂の正面に西南に向かって国分道が古くから細々と残り国分堂の地域は、堂宇を中心として、約327ヘクタールにも及び堂内には、平安初期の等身大の神将像が残されている。
●薬師堂西側より見る
堂内には(下記高岡市史より)
文珠菩薩(もんじゅぼさつ) 一尺六寸二分(四九糎) 鎌倉期
地蔵菩薩 三尺五寸四分(一〇七糎) 鎌倉期
毘沙門天(びしゃもんてん) 四尺七寸(一四二糎) 鎌倉期
帝釈天 二尺一寸(六九糎) 弘仁末期
天部像 五尺七寸(一七三糎) 弘仁期
天部像 四尺六寸(一四九糎) 弘仁期
などが安置されているが、三十三年目のご開帳にしか拝むことは出来ない。