寝屋川市探訪Ⅰ(2010.10.01)⑦熱田神社(大明神)・・・

熱田神社(太秦中町)  寝屋川市秦字神楽田
祭神  日本武尊
由緒
●神社西にある太秦寺・地蔵尊
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字太秦に鎮座する。西の方の近くに熱田神社のお旅所、もう少し行くと川勝太秦寺がある。
寝屋川の上流では秦と太秦の住民同士で水争いがあったそうである。 太秦では綿の栽培が行われており、豊作祈願のために餅花を作った。柳の枝に餅を付けたもので、当然先になるほど小さい餅を付けた。
●熱田神社御旅所(あつたじんじゃおたびしょ)
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御旅所は何故か大神宮と呼ばれている。
◆熱田神社(大明神)
●入口付近
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「熱田神社境内からは、昔から古瓦が出土し、礎石(そせき)に使用されたとみられる巨石が多く認められ、付近一帯が古代の寺院跡であることが知られており、太秦廃寺跡とよばれています。
●鳥居、手水舎、案内板
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出土した重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)・唐草文軒平瓦(からくさもんのきひらがわら)は、奈良時代後期から平安時代前期に属するものです。
●境内・拝殿
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太秦廃寺跡の実体については不明な点が多くありますが、『広隆寺末寺別院記』に記載されている「河内秦寺」にあてる説もあります。秦(はだ)・太秦(うずまさ)の地は、市域でも早くから人々が足跡を残した地域の一つであり、約1800年前の弥生時代には、丘の上に全国的にも有名な高地性集落が営まれていました。
●拝殿・本殿
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その後形成された古墳群(太秦古墳群)は、わが国の古代史に多大な影響を及ぼした秦氏(はたし)の人々の墓と考えられています。昭和37年(1962)には神社東の山の土取り工事中に全国でも珍しい牝鹿の埴輪(頭部)が出土しました。」
●左側に摂社    天忍穂耳命神社・若宮社
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※大阪府内の神社で、日本武尊を祭神とするのは、堺市鳳の大鳥神社、羽曳野市古市の白鳥神社、寝屋川市太秦の熱田神社と、松原市別所の同社のわずか四社にすぎません。
拝殿の裏山に登りましたが北側はは完全に絶壁のようになっており、ここが古墳であったことが想像できます。遺跡異物の一部でも見れたら良いのになぁ。
by barakan1 | 2010-10-11 12:32 | 旅日記
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