淡路島(国)探訪①(2010.04.18)(27)平林貴船神社・・・

貴船神社遺跡
ここ大川公園一帯は、弥生時代から古代にかけて塩づくりを行っていた貴船神社遺跡が存在していました。兵庫県では、はじめての石敷炉が確認された遺跡であり、塩づくりの過程が推測できる貴重な遺跡です。播磨灘に面した海岸部に立地しており、明石市から西播磨の海岸はもとより瀬戸内海に浮かぶ家島諸島・小豆島や四国まで遠望できます。塩作りの遺跡は弥生時代末から奈良時代にかけて長期間にわたって継続しています。
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塩作りには、濃縮した海水を作る工程とその塩水を煮詰めて塩を取り出す2つの工程があります。そのはじめの工程には「万葉集」に見られる「藻塩焼き」をあてる考えがありますが、今回は明らかにできませんでした。調査で明らかになったのは塩を取り出す工程です。濃縮した塩水を製塩土器にいれ、石敷きの炉に並べて煮詰め塩を取り出す作業を行っており、炉跡が22基以上確認されています。そのうち19基は古墳時代末から奈良時代で、大阪湾沿岸では塩作りが衰退する時期にあたります。
また、塩づくりに携わった古代人は万葉集や日本書紀にみられる野島海人と考えられます。貴船神社遺跡で最も盛んに塩づくりをした時期が野島海人の活躍したことと関係あるかもしれません。
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出土遺物は多量の製塩土器の須恵器・土師器・弥生土器・新羅陶器・黒色土器・石器・鉄器・銅製帯金具があります。最も古い時期の遺物は弥生時代中期末(約1800年前)の壷があります。製塩土器は、弥生時代末から出土しています。これから遺跡が廃絶する奈良時代まで製塩土器が含まれています。製塩土器が多いのは古墳時代末から奈良時代で、この時期が貴船神社遺跡の塩作りの中心と思われます。
万葉集 
山部宿禰赤人
巻06-0933
天地の 遠きが如く 日月(ひつき)の 長きが如く
押し照る 難波の宮に 我ご大君 国知らすらし
御食(みけ)つ国 日々の御調(みつき)と 淡路の 野島の海人の
海(わた)の底 沖つ海石(いくり)に 鮑玉(あはびたま) 多(さは)に潜(かづ)き出
船並(な)めて 仕へ奉(まつ)るが 尊き見れば

●平林神社前の海
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反し歌一首
巻06-0934 
朝凪に楫の音(と)聞こゆ御食つ国野島の海人の船にしあるらし
野島海人が使ったと思われる遺物に鉄製釣針・タコ壷・船形土製品があります。海との繋がりを示すものとして興味深い資料です。その他注目される遺物として新羅陶器があります。朝鮮半島から遠く運ばれてきた土器で、野島海人と海との関係の深さを示すものです。把手にヘラで描かれた顔が大変ユーモラスです。
北淡町教育委員会  写真資料提供 兵庫県教育委員会

平林貴船神社縁起  兵庫県淡路市野島平林206番
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◇寄神の由来
当社は昔から通称寄神様と呼ばれて来たが祭神は貴船神である。ところが貴船神とは実はクラオカミの神タカオカミの神である。
寄神神社は一国に一社祭られたものでしかも国の北から北東の位置に鎮座したものである古来10月は全国に神々が出雲の国に集まるので神無月と呼ばれた(ただし出雲では神有月と言っている)すなわち神々が出雲に旅立つ時も帰着する時もひとまずこの社に神集いしたことから寄神所の名稲が出たもので当神社は淡路一国の寄神所に当るのである。また貴船の神は祈?止雨の神でもあり全を司る神でもある。
◇当社の勧請祭祀
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昔は両部神道が盛んであった。当社の祭神は宝永2年??(273年前)西暦1706年に現在の京都左京区鞍馬貴船町貴船神社(平安京の真北)から文霊勧請してこの地に祭祀して今に至っている。
その間それより79年後すなわち天明2年に大日照りが続き特に淡路は阿波藩の重い年貢の取り立てに悩まされた時当社の神に於て両請祈祷の法を修したところ功顕にわかに現れて降雨に恵まれこの地方一帯飢饉をまぬがれたと伝えられている。ところが永年の風霜雨露のため社殿の損傷著しく郷内相寄相計りて社殿一切を改築再建して新に村内安全五穀豊穣を祈願する次第である。
◇当社の祭典
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旧暦の8月16日に神々をお迎えする事から始まり当日は郷内相寄り神社境内に於て魔避の弓矢16本を真北に向け打ち当地を清め後に相撲16番を取りダンヂリと酒盛りの各行事を行い神をたたえ今も盛んである。
干時昭和54年10月吉祥日 平林貴船神社氏子中
by barakan1 | 2010-06-28 15:13 | 旅日記
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