■樟本神社(南木之本) 八尾市南木之本7丁目
●南入口鳥居
祭神 木霊
(布都大神、饒速日命ともされる)
この地は物部氏の住地であり、その遠祖神を祀ったとされる。南木ノ本は物部守屋が蘇我馬子らにせめられた時、稲城をつくったと伝えられている。
●東入口 拝殿・本殿
樟本神社(日羅寺) 社頭掲示板
この地は、物部氏の住地であり、この社はその祖神を祭ったものである。北木本と木本に同名の二社があ、延喜式神名帳には樟本神社三座と記されている。
守屋が聖徳太子の軍を防ぐためこのあたりに「稲城」を設けたとき、城中に榎木があったので、これを「榎木城」といい、村の名も「榎木村」といったが、のち「木本村」となったと伝える。
●拝殿 ●日羅寺
境内には黄檗宗日羅寺がある。薬師如来を本尊とする。日羅は百済へ渡り重く用いられた。敏達天皇は任那滅亡後、日羅を呼び戻し、百済の政情をたずねたところ、「兵事よりも、百姓保護に努め、国力を充実して、百済を討つべし」と説いた。このため同行して来朝していた百済使臣のために暗殺された。
●拝殿・本殿
厨子は、延宝8年(1680)平野の豪族末吉勘兵衛利長の寄進によるという。 八尾市教育委員会
●樟本神社境内にある「日羅寺」
本堂に掲げてあった説明板によると、「日羅寺は583年(備達天皇12年)日羅聖人が百済より帰朝して、天皇より阿都の桑市(南木の本村の旧地名)に土地を与えられ、一寺を建立し薬師如来を安置したのが始まり」としている。本尊の薬師氏如来は聖徳太子の作と伝わり、厨子は1860年(延宝8年)平野の豪族末吉勘兵衛の寄進による。
●稲城址
八尾市南木の本(旧字名を城の跡という)光蓮寺の前に「稲城址」の石碑が建てられている。聖徳太子が物部守屋の館のあった阿都桑市を攻めたとき、守屋はこの地に城を築き抗戦したという。稲城の謂れは稲で囲った城とも、稲積みの城であったとも伝わる。この碑は1939年(昭和14年)個人の手により建てられている。
●弓代塚
龍華中学校の南側、高圧線の鉄塔の回りが空き地になっており、そこに迹見赤檮が守屋を射抜いた鏑矢を放った弓を埋めた場所と伝わる『弓代塚』があった。