■坐摩(いかすり)神社行宮 大阪市中央区石町
●ビルの谷間の神社
豐磐間戸神(とよいわまど)
奇磐間戸神(くしいわまど)
大隅宮 祝津宮 とも言われる。
※行宮は熊野九十九王子社の最初の王子社の
窪津王子社の比定地ともされる。
旧地の御旅所には、「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石がある。すなわち、磐座信仰の地であった。
渡辺橋の近くで新羅江と呼ばれた所である。ここから久太郎町に遷座したのであるが、この久太郎とは百済の当て字であり、往古の浪速の町は渡来人で一杯だったようだ。
『社家舊記』に誉田天皇三年十一月、百済辰斯王叛、遣紀角宿禰、羽田矢代宿禰令伐之、即日於難波沼中祀之、仍為住吉第一摂社」とある。往古一時は住吉の末社または密接な関係を持っていたようである。
大川に架かる天神橋の東南、大隅宮(祝津宮)と言われ、巨石は格子で保護されている。(厳重過ぎてあまりよく見えませんでした)
何故、大隅であるのか、大隅地方では大隅を「うずん」と発音することもあるそうだ。出雲大社の正面の柱を「宇豆柱」というそうだが、この「うず」には祭祀だけではなく、椎根津彦(珍彦)、紀氏の祖の宇豆彦など、おそらく海人にまつわる日本古代史の謎が隠されているのだろう。
ー神南備にようこそーより抜粋