天橋立~和田山・竹田城探訪(2015-07-26~27)・・・①

■天橋立へ
娘夫婦より、夕日ヶ浦温泉へのお誘いがあり、喜んでお受けしました。夕方にホテルで落合う約束なので、ついでと言えば何ですが・・・、行って見たかった天橋立と翌日は朝来市和田山の竹田城跡を観る予定です。
■1日目コース
12時に自宅を出発~阪神高速・中国自動車道・舞鶴若狭自動車道を通り、橋立到着15時でした。飛龍観モノレールで展望台へ。天気のいいこともあり、その景色はまさに絶景!!、日本三景と言われるのも分かります。久しぶりに素晴らしい景色を見て妻も大変感激していました。
前日の調べで、近くに元伊勢籠神社と丹後国分寺跡があることが分かりましたので、時間はありませんが、その雰囲気だけでもと駆け足でしたが回りました(ほんの1時間程の探訪で残念でした)。
ホテルに18時丁度に到着。一っ風呂浴びて早速夕食です。
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丁度夕日がまわりを真っ赤に染めながら、地平線に沈む景色も見れ(太陽は真ん丸ではなく、ヒシャゲたお饅頭をニケ重ねたように見えました)大満足でした。



●展望台へのモノレール乗り場
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■日本三景 天橋立
天橋立の成り立ちについて、こんな言い伝えがあります。
古風土記によると、男神イザナギのみこと命が、イザナミの命の住む久志備の浜の北にある真名井原に、 天上から通うために梯子をかけました。イザナギの命はこの梯子を天浮橋と名づけ、天上と地上を往来しました。
●モノレールとリフトからの展望
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●飛龍観の解説版
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ある時、地上におりたイザナギの命がうっかり一夜をすごしてしまったうちに、天浮橋は地上に倒れてしまいました。 天浮橋は天橋立となり、天上の神々と地上の人間を結ぶ梯子はなくなってしまったのです。 しかしその後、神と人の絆はかえって強くなり、神仏を求めて白砂青松の不思議の道を訪ねる人があとを絶たなくなりました。
●股覗きからの展望
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全長3.6km、幅20~170mの砂嘴。砂地には約8000本の松が茂り、その姿はあたかも天に舞う架け橋のよう。
公園内には昭和26年に来訪された昭和天皇の句碑、与謝野寛・晶子夫妻の歌碑など史跡が点在しており、 先人たちが天橋立に馳せた思いに触れることができます。 人々の心を潤す神の贈り物として、天橋立はその姿を今に保ち続けているのです。

a0016431_15464364.jpg天橋立は、方向により見え方が変わることで知られています。
眺望にはそれぞれ名前がついており、斜め一文字、飛龍観、一字観、雪舟観が天橋立の四大観と呼ばれています。四大観のポイントは下の写真で示した場所になります。 HP-日本三景-より



■天橋立を詠んだ歌
神の代に神の通いし道なれや雲井に続く天橋立     古歌
橋立の松の下なる磯清水都なりせは君も汲見ん     和泉式部

大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天橋立  小式部内侍
   小倉百人一首第60首 小式部内侍こしきぶのないし) 金葉集
※解説ーこれは、「大江山を越えて、近くの生野(京都府亀岡市内の古地名)へと向かう道のりですら行ったことがないので、まだ母のいる遠い天の橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙もまだ見ていません」という意味である。歌合に歌を詠進することになった小式部内侍に、四条中納言(藤原定頼)が「丹後のお母さん(和泉式部は当時、夫の任国である丹後に下っていた)の所に、代作を頼む使者は出しましたか。使者は帰って来ましたか」などと意地の悪い質問をしたのに対し、その場で詠んだ歌とされている。
当時、小式部内侍の歌は母が代作しているという噂があったため、四条中納言は小式部内侍をからかったのだが、小式部内侍は見事な歌で答えたのだった。これに対し四条中納言は、当時歌を詠まれれば返歌を行うのが礼儀であり習慣であったにもかかわらず、狼狽のあまり返歌も出来ずに立ち去ってしまい恥を掻いたという。ーウィキペディアーより
●天橋立全景
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■探訪地図

# by barakan1 | 2015-07-30 21:06 | 旅日記

湯浅大宮 顯國(けんこく)神社探訪 (2015-05-26)

湯浅大宮 顯國(けんこく)神社  〒643-0004 有田郡湯浅町大字湯浅1914番地
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★★祭神
大己貴命、須佐男命、櫛名田姫命、建御名方命、沼川姫命
★配祀神 
事代主命、豊玉彦命、豊玉姫命、大山祇命、天照皇大神、豊受大神、蛭子神、水波能女神、宇賀魂命、伊弉諾尊、伊弉册尊、金山彦命、菅原道真、素免神、粂崎王子神、住吉神、少名彦命、三筒男神、国常立尊、市杵島姫命
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★境内社 
若恵比須神社、神明神社、稲荷神社、若宮神社
★飛地神 
辨財天神社、北恵比須神社、南恵比須神社、若宮神社
●境内案内板
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■由来
延暦20(801)年10月、坂上田村磨が紀伊國有田郡霧崎菖蒲の里に到って三神を崇敬し、正殿を造営して大國主大明神と称して祀ったのが当神社の創建である。
●外より拝殿・境内をみる
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その後、土豪湯浅権守藤原宗重が神々に対する尊信の念が厚かったことから、天養元(1144)年10月、湯浅村に社地を定めてこの森へ神殿を遷して顯國明神と改称した。
宗重は社地祭祈料として田園を寄進するとともに湯浅城鎮護の神社、近郷村の総鎮守大社と仰ぎ奉った。
社城・社殿ともに郡内でも宏壮であることから通称「大宮さん」と呼ばれた。
●拝殿・本殿
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寛文8(1668)年12月、紀州徳川家初代藩主頼宣より顯國大明神の社号を授かり、藩儒李梅溪に命じて華表の扁額を書かしめた。
その後、江戸へ発着毎に参詣する等厚く崇敬され、これが先規となり廃藩の際まで歴代藩主より鄭重に取り扱われた。
社記によると、延宝4(1676)年には第二代光貞(清溪院)、安永5(1776)年には第九代治貞(香巌院)、寛政6(1794)年には第十代治宝(舜恭院)、寛政11(1799)年と享和3(1803)年には当時隠居中であった第八代重倫(観自在院)が参拝している。
●境内社
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明治15年11月、有栖川宮幟仁親王殿下の御筆である社名の額が奉納されている。
明治16年4月、村社に列し、同40年6月神饌幣帛料供進神社に指定された。
昔、田中久郎助という者が馬を社前に集めて流鏑馬をしたのが、馬寄せの始めであると伝えられている。
明治の合祀令より当神社に祀られた神社は、若宮神社、若恵比須神社、神明神社、稲荷神社、諏訪神社、久米崎神社、天神社、金比羅神社、疱瘡神社、住吉神社、妙顯神社がある。
●境内社 (若恵比須神社、神明神社、稲荷神社、若宮神社)
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当神社の鎮守の森は、昔から「一夜の森」や「暁の楓」と呼ばれ、『南紀湯浅誌』の湯浅古跡に名を載せ、古くから神社鎮座の森なりと言い伝えられており、平安時代から鎌倉時代にかけて古熊野往還に沿っていたとされている。(和歌山県神社庁HPより)
※※久しぶりの探訪記です。書き方がを忘れ、チョッと時間がかかりました。(>_<)
5-26、湯浅玉市丸にイサギ釣りに来たおり、帰路に立寄り御参りしました。湯浅に来る度に気にはなっていましたがヤット、訪ねることが出来ました。>(^_^)v
# by barakan1 | 2015-07-05 15:55 | 神社仏閣探訪

今年初めて聞くセミの声 2015-07-03

■■いつもの通り、散歩をしていたら、四天王寺公園の中の遊歩道(美術館の前の道)で10時半過ぎ今年初めてのクマゼミの鳴く声を聞きました。もうすぐかなぁと心待ちにしていたので・・・、直ぐに気がつきました。盛期のように重なり合うようには鳴きませんが、単発ですがシャンシャンシャンシャンと鳴いていました。
セミが鳴いていたのは下記の森です。
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少し上ってアベノ近くになるとまだ鳴いていません。一年振りなのでチョッと感激しました。
# by barakan1 | 2015-07-03 20:13 | 散策によせて

美浜港 平良丸 イサギ釣り 2015-06-22(3回目)

和歌山美浜港 平良丸さんにお世話になりました。(今年3回目のイサギ釣り)
深夜12時過ぎ自宅出発、途中2度はかり休息を入れながらゆっくりと美浜港に向かう。3時前に港着(約2時間半、120㌔)。既に一人到着されており、その人と雑談しているうちに他の釣り人も到着され、本日は総勢6名で丁度いい込み具合です(込み合って殺気立つような雰囲気は嫌なので・・)。3時半過ぎに船長が来て、名前を呼ばれた順に、乗船し、つり方(竿釣りOR手釣り)を言って、クーラーに氷を入れてもらう。
●出船前風景                  ●ポイントより日の岬
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4時前出船。日御碕沖ポイント(ジャリ)到着
本日の状況  天候:曇り  風向:北  潮:下り潮  水温:23.0度  波高:凪 
今日は大潮ですが、潮はチョロチョロと最後まで流れ、つり易かった(結局、潮は速くなる事はありませんでした)。
今回で今年のイサギ釣りは終わりと決めていましたので、頑張りました(オオドモの人との雑談の中で、朝方の3時間が勝負だなぁと話されていたので・・・)
5時過ぎ実釣開始、手釣り仕掛けを投入。船長指示棚は40m~30mを探ってとのこと!!
緊張の第一投、40mまで仕掛けを下ろし、直ぐに2mほど手繰り上げて暫く待つ。前回で感じたコマセを振り出してからの待つ時間、今回は少し長めに待つようにしたのだ。そうすると、もう駄目かな!?と思うくらいの時にグッグ~ときた。(潮の流れが緩いため、コマセがサビキ針に到着するまで時間がかかったのか?な!!とも考えたり・・・)
1投目からの当たり、グリグリとした引き。楽しみながら慎重にあげる。それからは同じ動作で少しずつ棚をあげながら、当りを取ってゆく。35mで少し大きい35㌢クラスがあがる。
a0016431_1312034.jpg暫くすると、また型が少し落ちてくる。オオドモの釣り人はいいか型のイサキを連発している。棚があがったと思い、また仕掛けを徐々に上げてゆく。30m付近で大型のイサギに当り、連釣りする。結局最後は26~27mまで棚をあげて釣った。(目標の40㌢アップの大物は釣れなかった。残念!、来年の目標です。)
今日は当りが途絶えることもなく、空針を引いたのは1回だけでした。糸を引く指先も痛くなり引き上げスピード遅くなってしまいました。でも、トリプル、ダブルも結構あり、大満足のイサギ釣りとなった。(^_^)v 019.gif

a0016431_13289.jpg10時半、、沖上がり

11時半、帰途に着く。途中和歌山の息子の家に寄り仮眠さしてもらう。孫が出掛けており会えなかったのが残念です。仮眠後16時和歌山出発~18時自宅着。行程250キロ。




●早速、夕食に、塩焼き&お造り
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※数とサイズはまだ確定していません、息子にお裾分けした数が現在まだ不明のため。多分、60~70匹位&37センチ位ではないかと!

a0016431_15463895.jpg右最長寸魚 38センチ


★★昨日息子より報告がありました。 匹数:イサギ:83 サバ1  最長寸:38センチでした。 今までで、一番の釣果です。
# by barakan1 | 2015-06-23 13:26 | 釣行日記

和歌山湯浅港 T丸 イサギ釣り 2015-05-26(2回目)

湯浅 玉市丸にてイサギ釣り(本年2回目)へ
天候:晴れ  風向:北  潮:下り潮  水温:21度  波高:ベタ凪
00:20自宅発~00:50長原インター~紀ノ川SE(休)~01:50~有田インター紀ノ国屋(休)02:30~玉市丸03:00。
●仮眠所前にて船頭を待つ           ●夜明け前乗船
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★3:30船長が来て座席の決定(予約順です)。今日は客が多く(15人くらい?)私は12人目くらい。お祭りが少ないようにと、左舷ミヨシの一番前を選びました。そして手釣りが難しいかも?ということで、手巻きの竿をレンタルしました(1000円です)
クーラーと手荷物は軽自動車に積み、私達は歩いて5分もかからない港まで歩きます。
4:00出船です。私は少しでも寝不足解消のため船底で横になりました。ガガガッという逆進と船の揺れで顔を上げるとそこは日御碕沖のポイントに到着です。2・3度旋回し、イカリが入ると5:00実釣開始です。船長の棚の指示は、去年と同じ底から10m~15m探ってみて!!と言うことで(ここの水深は45m)、今回リールには手巻きながら水深計がついていますので、棚40mに鉄火面を落とし、2mあげて、3~4回コマセを振るというパターンで攻めてみました。釣り初めから終わりまで潮はトロトロ流れ、釣り難いということはありませんでした。(手釣りでも出来た?残念)
●夜明け前 日御碕沖実釣中
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★初め1時間ほどは入れ食い状態でその内段々当りが遠くなり、お決まりのように7~8時にまったく当りが取れなくなってしまいました。隣の人は入れ食いさせているのにです。(最後まで入れ食いさせて、10時には納竿していました)!!クソッ (>_<) 
当りが消えた35m辺りから30mまで、また40mまで落として探ってみるも当たりなし(T.T )
★そうこうしている内35m付近で待望の当たり。 何故??何故!! あまり当りが無いものだから棚をさぐっていた竿を置き、パンでも食べようとしていた時にクンクンとした当たりがあった。
どうして35mで当たりが出たのか?よくよく考えてみると、パンを食べようとして捜しているうちに今までより待つ時間が長くなったのが原因かも??と考えた。そこで35m~33m付近でコマセを振ってからの待つ時間を今までより長く取ってみたら・・・・。ビンゴでした(^-^)
●実釣中                  ミヨシから日御碕を見る
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★これに気がついたのが9時過ぎで、手巻きの疲労が増してきて、巻き上げもヒーヒーハーハーの状態でしたが。折角大きなクーラーを持ってきたのに半分も入っていない状態では帰れません。明日の筋肉痛も覚悟して最後の最後まで頑張り11時納竿ました。( ̄◇ ̄;)
●帰港中 正面は「白崎」        ●湯浅港 T丸
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●本日の教訓、慌てる乞食はもらいが少ない(お魚にも食べる時間が必要です)
それと私には手巻きの竿つりは無理ということが分かりました。
本日の釣果、イサギ(32~25㌢35匹、さば45センチ1匹、計36匹)前回に比べ型が一回り小さかったのが不満ですが・・・。(-`_-´#)
12時、湯浅港着、12:30湯浅発(高速途中仮眠をとりながら)~自宅15:00着。
# by barakan1 | 2015-05-27 17:10 | 釣行日記

日高阿尾港 K丸 イサギ釣り 2015-5-8 1回目

2015年初めての船釣り(イサギ)
天候:晴れ  風向:北  潮:下り~上り潮  水温:20度  波高:0.5
共栄丸の午前便で 日の岬沖・トフへイサギ狙いで出船しました!

a0016431_14122890.jpg●日御碕の日の出

自宅を00:00時に出発ゆっくりと走り、休憩も30分ほど取り、3時15分頃港に到着しました。大勢の釣り人が船の前に居り、直ぐにでも出船する様な雰囲気です。慌てて私も着替えて船着場に行きました。2船で出るようで、いずれの船にも12~3人は乗っていたでしょうか?連休明けの平日にもかかわらずです。釣り人も現金ですねぇ~(^_^)v 釣れている情報、ましてや今日は凪の予報ですから!!!  

a0016431_14423443.jpg●隣に、岬丸や浜吉丸が・・・

阿尾港4時出船15分位でポイント着、イカリが入り、船長から40~30Mを探ってみて!!と棚の指示があり(水深は45M位?)、いよいよ4時半過ぎ実釣開始です。
私はいつもの通り手釣りです(一応竿を持参しましたが、結局使いませんでした。使用感だけでも体感しておきたかったのですが・・・)。来るまでには、この歳になって、体力的にもつかなぁ!と心配しましたが・・・。

a0016431_14135270.jpg●船中、つり始めの様子

私は、気合を入れて仕掛けを投入し棚38Mから始めました。仕掛けは釣り船支給の幹糸・枝糸3号、針7号の3本ハリ仕掛けに(1組だけ無料で頂けます)、120号の鉄火面です。 
食い気の良い時は道具を入れて、コマセを2~3回振るか振らないかでググッと来るのですが・・。なかなか当りがきません、?(・・)?と考えながらの4投目でヤットきました、クックッとした小さな当りが・・。
でも、食い気はもうひとつだなぁと感じました。 (-^0^)人(^0^-)イェ~イ☆

a0016431_14145698.jpg最長寸38センチ、下31センチ

開始早々からポツポツと釣れ後半やや喰い渋い時間帯もありましたが(私は8:30~9:30棚ボケしてしまいまったく当りが取れませんでした)35M~32Mあたりで釣っていたのですが思い切って、朝の棚40M戻してみました。ビンゴでした。イサギは棚が変化するよ!と言われますがいつもながら棚取りに四苦八苦する私です。艫の釣り人の話では棚は25Mまで上がったそうです(;n;)ナキソウ
最長寸のイサギを釣ったのは、確か35Mで誘っていたときこれこそイサギの当りという、ガツン、グイグイ、ググゥという引き糸を引く手が止まり、またツツッと引き戻されたりした。海面に現れた魚を見て、これを逃してはならじとばかり、隣の釣り人のタマをかりすくいとりました。
私の釣果は何とか船中平均?のイサギ34匹(最長寸38センチ)とサバ1匹でした。
今日の潮は右舷から左舷に流れる変な潮で、いつもなら完全に艫の人の撒き餌係りになる場所の左舷舳先から2番目の席の私が何とか釣れたのは今日の潮のためでしょう?Thank(≧∇≦)you!
今年初めてのイサギ釣りはいずれにせよ、海上穏やか最高の釣り日和!で、満足できる釣行となりました。
●帰港後の釣果撮影(共栄丸HPより)
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帰路、和歌山の息子の家に寄り、お嫁さんと孫の顔を見、釣果を半分押し付けて(余り多く持って帰ると機嫌が悪くなるので・・・)18時半に無事帰宅しました。ヾ(*´Ο`*)/
# by barakan1 | 2015-05-09 14:49 | 釣行日記

駅前公園 「ヒオウギ」の花

記事は後日。スペース確保です。
# by barakan1 | 2015-04-30 21:46 | 路傍の草花

大阪城 サクラ見物 (2015-03-31)・・・

■大阪城 サクラ見物
後日掲載予定
# by barakan1 | 2015-03-31 21:00 | 花探索

明日香探訪(2015-01-24)⑥明日香村埋蔵文化財展示室見学・・・終

明日香村埋蔵文化財展示室  所在地 : 明日香村大字飛鳥225-2
              (甘樫丘北東100m 「あすか夢の楽市」すぐ隣)
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明日香村による発掘の数々を紹介する展示室。小さな展示室だが、出土品は飛鳥の息吹をいまに伝えるものばかり。
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また旧飛鳥小学校の木造校舎を利用しており、レトロな味わいのある建物も魅力的。主な展示品は明日香村内出土遺物、キトラ古墳石室模型の展示のほか、文化財課による最新の発掘情報や成果など。 すぐ南には水落遺跡がある。ー明日香ナビーより
●持統天皇行幸風景『再現)  上山好康氏撮影
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◆利用時間: 午前9時から午後5時まで
◆休日: 年末年始
◆入場料 : 無料
★(*^_^*)写真クリック 大きくなります 今回はこれで終了です。
# by barakan1 | 2015-02-04 18:13 | 万葉故地

明日香探訪(2015-01-24)⑤飛鳥坐(あすかにいます)神社・・・

飛鳥坐(あすかにいます)神社  奈良県高市郡明日香村飛鳥707
御祭神
事代主神  高皇産靈神  飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂) 大物主神
●神社正面・鳥居と飛鳥井
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境内 摂社 式内社
摂社 飛鳥山口神社  大山津見乃神 久久乃知之神 猿田比古神
●力石・マラ石
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◆◆国のまほろば大和の国に古代より皇室の守護神と して鎮まります当神社の主神、事代主神は恵美須神 の御名で世に広く知られております。大国主神の第 一子で父神とともに力を合わせ、この国土を拓き民 の衣、食、住は勿論、その他万物の生きるための基 礎作りをされた大神であります。
●万葉歌碑
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雑歌(くさぐさのうた)
巻13-3222 
三諸(みもろ)は 人の守(も)る山 本辺(もとへ)は 馬酔木(あしび)花咲き
末辺(すゑへ)は 椿花咲く うらぐはし山そ 泣く子守る山

巻13-3229 
斎串(いくし)立て神酒(みわ)据ゑまつる神主(かむぬし)の髻華(うず)の山影見ればともしも
壬申(みづのえさる)の年の乱(みだれ)、平定(たひ)らぎし以後(のち)の歌
巻19-4260 
皇(おほきみ)は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ
右の一首は、大将軍(おほきいくさのきみ)贈右大臣(おひてたまへるみぎのおほまへつきみ)  大伴の卿の作みたまふ。

 古典によりますと、神代の昔皇祖天照大神が皇国 の基を定めようとされ、大国主神のもとに国土を天 の神に奉るよう御使を遣わされました。大国主神は その事を事代主神に相談され、そのすすめによって 国土を捧げられました。そうして大国主神は、わが 子事代主神を数多くの神々の先頭に立たせ皇祖に仕 えさせたならぱ、皇祖の国づくりに逆らう神は無い であろうと、皇室の近き守護神として事代主神とそ の娘神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈留美神)の神 霊を奉斎なされたのが当神社の創建であって、実に 神代から続いている大社であります。
●神社拝殿
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 前述のごとく、この飛鳥の地に永く郡のあったことと神代に当社がこの地に創建されたとする伝承とは決 して偶然ではなく、すでに神代の昔から大和の国は将来都と定めるべき美地なることを父神の大国主神は予 知されていたのであります。以来事代主神、飛鳥神奈備三日女神を始め四柱の神々は協力して皇室の守護を はじめ、日本人に生活のあるべき道を教え、農業、工業、商業など、産業振輿の神として、その由緒の顕著 なことは多くの古書に記述されているところであります。特に子宝、緑結ぴ、厄除、治病、製薬、交通安全、 商売繁昌、家内安全、夫婦和合等、専ら国利民福の増進を図られ、その御神徳は著しいものであります。
●境内各社
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●参道石段より雷丘を望む
a0016431_19574238.jpg当社は、天武天皇朱鳥元年七月に天皇の御病気の平癒を祈る奉幣があったことにも示されるように、皇室 の近き守り神として奉祀され、天長六年に神託により神奈備山より現今の鳥形山へ遷祀されました。延喜式 によれば名神大社に列し、祈年、月次、相嘗、新嘗、祈雨等の奉幣に預かり、祈年祭には特に馬一匹を加え られました。正平元年八月後村上天皇より金五十枚を賜わり中ノ社が再建されております。このように朝廷 でも一般でも広く尊崇せられたことが察せられます。







●境内各社
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 降って寛永十七年(一六四○)に植村家政が高取城主として封ぜられると、当社がその城の鬼門にあたる ため、特に深く信仰されました。元緑頃には境内に末社五十余社が存したが、享保十年(一七二五)に本社、 末社ともに火災に会い、社殿の大部分が焼失したので、安永十年(一七八一)城主植村出羽守家利が再建し、 天明元年(一七八一)正遷宮が行なわれました。これが現存の社殿であります。このように古代から数々の 変遷を経て今に至っています。
●境内各社
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※相嘗祭……朝廷の特別に尊崇された大社に新米を奉られる祭である。名神社三、一三二座中僅に七一座に 限られている。
-由緒書きより-
2004年の飛鳥坐神社
★(*^_^*)写真クリック 大きくなります
# by barakan1 | 2015-02-03 20:15 | 万葉故地